eコラム「北斗七星」

  • 2016.11.29
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年11月29日(火)付



「心配するのが社長の仕事」。松下幸之助は社長・会長時代も、一線を退いた後も、会社のことを心配した。「毎日煩悶」「一喜一憂の連続」だった。だがそれは彼の生きがいでもあった。<何もかも都合よくいって、いいことずくめだったら、生きがいがなくなってしまう>と語った(『松下政経塾 塾長講話録』)◆彼が松下電気器具製作所を3人で創設した大正7(1918)年。この年、米騒動があった。物価高騰に加え、コメの値段も急騰。全国で民衆の暴動が起きた◆庶民は困窮していた。心を痛める大阪府知事、林市蔵はある日、幼児を背負って夕刊を売る女性を目にする。秋なのに浴衣姿。夕刊を買いながら尋ねると2人の子も近くで夕刊を売っていた。その日のパン代などを稼ぐため◆こうした困窮者を救おうと大阪府は同年、前年に発足した岡山県の済世顧問制度を参考に、方面委員制度を創設。これが全国に普及し民生委員制度となった。『大阪府民生委員制度四十年史』で知った◆民生委員は無報酬のボランティア。任期は3年。来月1日、新たな任期が始まる。一人暮らし高齢者や高齢者のみ世帯、障がい者を訪問し相談に応じるなど、活動は多岐にわたる。心配が続くこともあるだろう。それでも引き受け頑張る民生委員に感謝しよう。応援しよう。(直)

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