e被災地の今を歩く

  • 2016.09.12
  • 情勢/解説

公明新聞:2016年9月10日(土)付



"声なき声"に耳を澄まし 東日本大震災取材班



心が、ひどく疼いた。いや、この原稿を書いている今も、である。あの日から5年6カ月になるのを前に、岩手県内の被災地を歩いた。

今度は台風か...

三陸沿岸北部の久慈市。NHKドラマ「あまちゃん」のロケ地として、空前のブームに沸いた街だ。海女の素潜り実演が行われる小袖海岸を再訪すると、「小袖北限の海女の会」会長の大向広子さんが変わらぬ笑顔で迎えてくれた。「ウニ、食べてってね」。

津波にのまれた「海女センター」は堂々と再建。今年7月にデビューした"新人海女"の活躍も、大きな希望になっているように見えた。

それから、わずか6日後。市中心部が台風10号の豪雨災害に見舞われた。三陸鉄道・久慈駅周辺は水没。汗まみれで泥出しに追われていた男性は「3.11を思い出した」とつぶやいた。久慈を再び襲った苦難......。不安な気持ちのまま、大向さんに電話をすると、大きな被害はなかったとのこと。「観光客のためにも頑張るよ」との力強い言葉に、こちらが勇気づけられた。

南へ下って、野田村。県最大級のサケ・マスふ化場は東日本大震災からの復旧を果たし、サケの排卵や稚魚放流も順調だった。秋サケの漁期を間近に控え、漁業関係者は例年以上に胸を躍らせていた。「いよいよ、震災の年に無理して放流したサケが帰ってくるぞ」と。そこに、台風による濁流が押し寄せた。

施設は、土砂や流木、がれきが二重三重に積み重なる惨状に。下安家漁協の島川良英組合長は「またゼロからやるしかねぇよ。じゃねえと、集落が消滅してしまうから」と自らに言い聞かせるように語った。

次に向かった釜石市では、帰省していた大学2年生の千葉稜介さんに案内を頼み、車を走らせた。千葉さんが住んでいた鵜住居地区は3.11で海に沈み、市全体の死者の6割近くが集中。近所に暮らしていた祖母や伯母ら6人の親戚も犠牲となった。

千葉さんが避難した高台から眼下を望むと、かさ上げ工事が進み、土ぼこりが舞っている。「あそこが僕の住んでいた所」。車内から千葉さんが指さした場所では、青空を切り裂くように、重機がうなりを上げていた。

その奥に見えるのは、建設中の新しい学舎。教員志望の千葉さんは来年、新校舎へ教育実習に赴く予定で、「将来は、釜石で先生になって水泳の指導もしたい」と照れくさそうに笑っていた。

だが、学校の周辺に近づくと、千葉さんの様子が一変。「やっぱり釜石には帰ってきたくない」「ここは昔、亡くなった母と歩いた道だった。だけど......」。面影がなくなってしまった故郷の姿を目の当たりにし、胸がかきむしられたようだった。

復興が進む中での台風被害、そして消えゆく思い出の風景―。悲しみ、悩みながらも、前へ歩む人たちの心には何が映っているのだろうか。その"声なき声"に耳を澄まし、記録していかなければと改めて思う。これからも、被災地に立つ者として。

(渡邉勝利、佐藤裕介)

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