eコラム「北斗七星」

  • 2018.05.07
  • 情勢/社会

公明新聞:2018年5月4日(金)付



勝海舟が15歳の少年に「これからの日本は世界を相手に伸びて行かねばならん」と語り、「日本を背負って立つような人物になりなされ」と励ました◆頬を紅潮させたその少年は"柔道の父"嘉納治五郎(戸川幸夫著、小説『嘉納治五郎』より)。後に、日本人初の国際オリンピック委員会の委員となり、1940年大会の東京招致をめざした。対するヘルシンキ(フィンランド)などが圧倒的に有利な中、東洋の日本で開催されれば、五輪が欧米のものから世界的な文化になると粘り強く訴え、東京大会が決まった◆このときは、日中戦争の泥沼化で"幻"となったが、嘉納なき後の64年東京五輪では、柔道も正式種目となる。やがて、柔道を「国際的な体育として世界中の人が、出来れば男子だけでなく、女子も、老人も子供も親しんでやるようにしたい」(同小説)との嘉納の思いも現実に◆嘉納と同年代の新渡戸稲造は自著『武士道』で、勝海舟が物情騒然の時代に再三、命を狙われながら、「一度も自分の剣を血で濡らすことはなかった」として、「武士道の究極の理想は平和であることを意味している」と論じた◆武術としての柔術を進化させた嘉納の柔道も「自他共栄」を旨とする。彼が没したのは、80年前のきょう。再来年には、若者が世界へ伸びゆく「平和の祭典」が再び東京に来る。(三)

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