e座標軸

  • 2018.02.19
  • 情勢/社会

公明新聞:2018年2月18日(日)付



JR多賀城駅(宮城県多賀城市)から歩いて10分ほど、枝振りも見事な老黒松がシンボルの小高い山が見えてくる。平安の昔から陸奥を代表する歌枕(名勝)として数々の歌人たちに詠まれてきた「末の松山」だ◆道端には清少納言の父にして三十六歌仙の一人でもある清原元輔の歌碑。百人一首でお馴染みの「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 なみこさじとは」が立つ◆この失恋の歌にも明らかなように、古来、末の松山を波が越えることは「あり得ぬこと」とされてきた。事実、869年の貞観大津波もここまでは届かず。元輔が心移りなどあり得ぬ愛の契りとして「末の松山 なみこさじ」と詠んだゆえんである◆この伝承が今、1200年の時を経て被災地で再び熱く語られている。仕掛け人は地元・多賀城高校の生徒たち。その名も「末の松山コース」と称して、東日本大震災の記憶と教訓を伝える"まち歩き"を震災の翌年から続けている◆コース内外には生徒たちが調査し、設置した「津波波高標識」が約100点。それらを指さしながら「あの日の津波もこの小山だけは越えられませんでした」「やっぱり高台避難が一番なんです」と若アユたち。被災地の希望を見、復興を確信する瞬間である。

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