eコラム「北斗七星」

  • 2018.01.16
  • 情勢/社会

公明新聞:2018年1月16日(火)付



津藩士の五男に生まれ、陸軍大将にまで上り詰めた柴五郎が晩年、書き残した文にある。<故郷の山河を偲び、過ぎし日を想えば心安からず>。石光真人編著『ある明治人の記録』には五郎の過酷な少年期がつづられている◆「明治維新150年」の今年は、「戊辰戦争150年」でもある。鶴ケ城の落城とともに、五郎の祖母・母・姉妹は自邸で自刃し、火を放つ。その時8歳の五郎は戦乱を逃れたが、家族の遺骨を焼け跡から探して拾ったのは2カ月後だった◆やがて五郎は、父や兄弟と斗南藩(青森県下北半島)へ移住するも、当時は寒冷な不毛の荒地で飢餓に苦しみ、生死の境をさまよう。だが<堪えてあらば、いつかは春も来たるものぞ。堪えぬけ、生きてあれよ>と自らを鼓舞し生き抜いた◆徳川幕府に最後まで忠義を尽くした会津藩は、新政府軍から「朝敵、賊軍」とされ、理不尽な仕打ちを受ける。それでも数々の人材を輩出し、郷土を再興した◆翻って今を思えば、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で多くの人が故郷を追われ、平穏な暮らしを奪われた福島と重なって見える。明治維新は、日本の近代化の転換点だったとされる。ならば、現在の福島の復興への挑戦が再生可能エネルギーをはじめとする新産業創出への転換点となることを強く願う。(川)

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