eコラム「北斗七星」

  • 2017.11.14
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年11月14日(火)付



「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。正岡子規の有名なこの句には、"下敷き"があったという。「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」。詠んだのは、子規の親友だった夏目漱石である◆「柿くへば...」の発表は明治28(1895)年11月だが、漱石の句はその2カ月前。愛媛県出身の俳人で京都教育大名誉教授の坪内稔典氏は、「子規の代表句は、漱石との共同によって成立した。愚陀仏庵における二人の友情の結晶だった」(「柿喰ふ子規の俳句作法」)と◆愚陀仏庵は当時、松山で英語教師だった漱石の下宿。療養で帰郷した子規は、そこで52日間を居候として過ごし、東京へ向かう。その途中で奈良に立ち寄り、詠んだのが「柿くへば...」。子規に旅費を貸したのも漱石だった◆愛媛県東温市の坊っちゃん劇場では、二人の生誕150年記念のミュージカル「52days」を上演中。同居中に強く結ばれた友情の絆がコミカルに描かれ、心が温かくなった◆仲間と作り、議論し、鑑賞するのが俳句の魅力だという。坪内氏は「短い表現では個人の力を超える何かが必要で、それが仲間で作るということ」だとも。東京に戻った子規は「病床六尺」、寝たきりの身だったが、多くの仲間に囲まれて文筆活動を続けた。その姿は、人間関係が希薄な現代人が手本とすべき気がする。(祐)

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