e原爆の悲惨さ後世に

  • 2017.09.08
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年9月8日(金)付



被爆した城山小学校で絵画展
生き残った児童の姿など描く
実行委員長の公明議員が奔走
長崎市



長崎市の市立城山小学校で8月9日~30日、「荒川秀男絵画展」(長崎市立城山小学校原爆殉難者慰霊会主催)が開催され、期間中、延べ約300人が来場するなど好評を博した。公明党市議団の山本信幸議員(同慰霊会副会長)が実行委員長を務め、同展の成功を見守った。

荒川秀男氏(故人)は原爆当時、爆心地から約500メートルにある城山国民学校(現・城山小学校)の教頭として勤務していた。校内で被爆したが、奇跡的に生還。原爆投下直後の時期から、生き残った児童らが同小学校で学ぶ様子や卒業式の模様などの絵を描き残した。

荒川氏は戦後、同校の校長として再赴任し、同校の平和教育の基礎づくりに貢献。教職を退いた後は、同小学校の被爆当時の状況や殉難した教員の記録などにも尽力した。

活動の舞台だった城山小学校の被爆校舎(旧校舎)は昨年、秋野公造参院議員ら公明党の強力な推進により、「長崎原爆遺跡」の一つとして国の指定文化財に登録された。被爆校舎については、田上富久市長が「被爆から72年たち、被爆者が少なくなってきている。今後は、城山小学校などモノの"語る力"が重要となる」と語るなど、核兵器の恐怖を後世に伝える貴重な遺構だ。

山本議員らは、被爆75年となる2020年に向け、同小学校で関係者と長崎原爆の実相を伝える新たな取り組みを継続的に協議。その中で、秋野氏の後押しもあって国の補助を活用できることが決定した。さらに、荒川氏の長男・和敏さん(83)から荒川氏の絵画(原画)を借り受けるなどの協力も得られることになり、今回の絵画展の開催が実現した。

同展には、和敏さんの所有作品のほか、市被爆継承課が長崎原爆資料館に所蔵する、荒川氏のデッサンや水彩などの絵画約40点を展示。長崎が被爆した後も力強く生きようとする児童らの姿が描かれた作品が並んだ。見学者の一人、池田美保さん(63)は「素晴らしい展示で思わず見入った。原爆の悲惨さを忘れないために来年以降も開催してほしい」と感想を述べていた。

和敏さんは「亡き父が遺した『二度と原爆を使わせてはいけない』との思いを伝えることができた」と絵画展の開催を感慨深く語った上で、「父の絵画をいつでも見られるようにしていきたい」と述べ、これからも協力する考えを示した。

山本議員は「多くの人に見てもらえて良かった。同展を常設展にしていけるよう、市などと協議を進めていく」と語っていた。

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