e熊本地震6カ月

  • 2016.10.14
  • 情勢/解説

公明新聞:2016年10月14日(金)付



生業再建 被災者の今
熊本・嘉島町



きょう14日は、熊本地震から6カ月。熊本県内では被災者の仮設住宅への入居が進み、避難所で生活する住民は200人余りとなった。被災地では、仮設住宅など住まいの確保が整いつつあるが、生業の再生が進まず生活再建への足かせになっているケースが少なくない。「必ず立ち上がってみせる!」と奮闘する農業や観光業、中小企業事業者の姿を追った。=熊本地震取材班


農業


父の遺志継ぎ発展誓う
支援制度活用し営農を再開

「おやじの遺志ば受け継いで農業やっとるけん、心配せんでよか」――。

8月16日、熊本県嘉島町主催で開かれた慰霊祭に参列した奥田伸一さん(44)は、父・久幸さん(享年73歳)に語り掛けた。久幸さんは4月16日の本震で、自宅の下敷きになり亡くなった。別の部屋で寝ていた奥田さんも、あばら骨を2本折る大けがを負うが奇跡的に助かった。がれきの下から救出され、運び込まれた病院のテレビで父の死を知った。

震災前の奥田さんは建築関係の仕事に従事。たまに農作業を手伝ってはいたが、父から将来の話をされたことはない。だが、母・アヤ子さん(72)には常々、「後を継いでほしい」と漏らしていたという。その証拠に、トラクターやコンバインなどの農業用機械が新調されていた。そんな父の思いに気付かぬふりをしてきた奥田さんは、震災をきっかけに農業の道を歩むことを決めた。

しかし、家は全壊。避難生活を余儀なくされ、その日の生活を成り立たせるのがやっと。そうした中、父が植えた最後の麦が収穫時期を迎えた。地震で壊れた機械の修理が間に合わず、刈り取りは農協に頼んだ。畑に走るひび割れを見つめながら、奥田さんは農家として震災に立ち向かい、再起することの厳しさを目の当たりにした。

機械や軽トラックの修理が終わり、自分の手で大豆を植えることができたのは、7月になってから。「おやじは、こんな大変なことを60年もしていたのか」。合計3ヘクタールの畑は、一人では一日中作業をしても回り切れない。農業を始めてから父の偉大さを肌身で感じた。

今のままでは、収入は前職の給料を下回る。それでも奥田さんは、「おやじが守ってくれた畑をさらに発展させたい」と、額の汗を拭う。

農業用機械の修理には、国、県、町で費用の9割を補助する事業を利用した。12月には、同じ事業を申請して機械を収納する小屋の建て替えを行う予定だ。

県内の農林水産関係の被害額は1487億円(9月14日時点)と試算されている。国が早期復興に向けて用意した支援制度を活用して営農を再開する人がいる一方で、いまだ再建のめどが立たない農家も少なくない。日本有数の"農業王国"復活へ、中長期的な視点に立ったさらなる支援が求められている。


中小企業


心と体の"凝り"ほぐす
仮設商店街で 整骨院など7店舗が出発
熊本・益城町

「こんにちは! 腰の調子はどぎゃんですか?」――。増永清人さん(47)は、なじみの客に優しく語り掛けながら施術していく。ここは、熊本県益城町の仮設商店街「益城テクノ笑店街7」にある木山整骨院。院長である増永さんを慕い、町外から通院する被災者も多い。

県内最大規模のテクノ仮設団地内に先月オープンした笑店街には、整骨院のほか、ラーメン屋や理髪店など、7店舗が立ち並ぶ。独立行政法人・中小企業整備機構が建設したもので、どの店主も地震で店舗が全壊するなどの被害を受けた。

笑店街の会長も務める増永さんは「『笑って元気を出していこう』との思いを込めて"笑"店街と名付けた」と頬を緩める。

4月14日の前震直後、増永さんは全壊した実家で生き埋めになった69歳の母を助け出すと、町総合体育館に避難。約20年にわたって共にした店舗も全壊し、当たり前の日常は一瞬で奪われた。先行きの見えない避難所での暮らし。不安を拭い去るように、被災者へのマッサージなど、ボランティア活動に奔走した。

テクノ仮設に移り住んだ2カ月後、町商工会が募集した仮設商店街の入居にこぎつけた。すぐに親戚らの手を借りて全壊した店舗からベッドなどの機材を"新店舗"に搬入。喜びと不安が混ざった複雑な思いを胸に、「木山整骨院」の営業を再開させた。「皆の手助けのおかげで今がある」と増永さんは振り返る。今では1日10人程度のお客さんが訪れ、治療や世間話をしながら被災者の心と体の"凝り"をほぐす毎日だ。

「近所にいるペットの糞害や鳴き声が気になる」「仮設トイレのにおいをどうにかできないか」といった仮設住民からの声が上がれば、増永さんが町に相談内容を伝えて対策を求める。時には、住民の不安や鬱憤に、じっと耳を傾けることも。「笑店街が住民の心のよりどころになれれば」。そう語る目に力が込もる。

増永さんは今後、公明党の推進で創設された中小企業の再建を後押しする「グループ補助金」を活用し、笑店街にある7店舗の再起を夢見る。県商工政策課によると、これまでに同補助金を使って復興をめざす県内の企業は約4000社にも及ぶという(9月末現在)。復興への道程はまだ途中だが、増永さんら中小企業関係者は生活再建をめざし、懸命に走り続ける。


観光業


新たな魅力づくりに奮起
独自の復興支援プラン考案
熊本・阿蘇市

「お味はいかがですか? うちの料理は、地元産にこだわっているんですよ!」――。熊本県阿蘇市にある民宿「あそ兵衛」の関屋洋一郎代表取締役専務(39)は、宿泊客を笑顔でもてなす。利用者は、観光客だけでなく、復旧工事に汗を流す工事関係者も多い。関屋さんは「本当にありがたい。地震直後は、部屋がいっぱいになるなんて、考えもしなかった」と、来し方6カ月を振り返った。

阿蘇大橋の崩落、国道57号線の寸断など、4月16日の本震後、自然豊かな阿蘇の姿は一変した。「もう、観光客は来ないかもしれない......」。関屋さんは民宿がつぶれる覚悟さえした。そんな中、工事関係者から「復興をいち早く進めたいから、泊まらせてほしい」との問い合わせが。関屋さんは奮起し、本震から3日後の19日に営業を再開した。

地震から間もない5月には、「旅館を被災者に役立てたい」と、国の負担で旅館などの宿泊施設を緊急避難所とする制度を活用。高齢者や障がい者世帯などの約20人を受け入れた。

県旅館ホテル生活衛生同業組合(県旅連)青年部長を務める関屋さんは今、新たな復興支援プランを考えている。県内の「道の駅」から、地元産の野菜などを全国の旅館やホテルに売り出すという取り組みだ。各地の宿泊施設には、その食材を使った料理を提供する宿泊プランを用意してもらう。"食"を通じた全国各地からの支援を目的としている。「今後、災害が起きた地域での観光業復興に向けた支援のモデルケースになる」と、関屋さんは意気込む。

客足が回復する兆しが見えてきた中で、8日未明、阿蘇山の爆発的噴火が起きた。追い打ちをかける自然災害に、観光客の減少を懸念する声もある。しかし、「ピンチは最大のチャンス」と捉える関屋さんは、「象徴的な爪痕を保全し、防災学習の教育旅行などに活用できないか」と、新たな阿蘇の魅力づくりを模索している。

一方、県観光課は、地震の影響でいまだ再開できていない県内の旅館やホテルは43カ所(8月19日現在)に上るとし、「回復しているとは言い難い」と指摘する。また、インフラの復旧や風評被害など、観光業の課題は多岐にわたる。「火の国」熊本の象徴である阿蘇の観光業再建に向けた取り組みは、始まったばかりだ。


愛する郷土の再建へ全力


党熊本県本部 城下広作代表(県議)

4月14日の前震に続き、16日の本震によって益城町や阿蘇地域をはじめ、多くの市町村が甚大な被害を受け、今なお被災地には深い傷痕が残っています。こうした中、全国各地から熊本に寄せられた真心のご支援に心より御礼申し上げます。

この6カ月間、党県本部として全議員が被災地の隅々に飛び込み、公明党のネットワークの力をフルに生かして、被災者の切実な声を国に届けてきました。

その結果、激甚災害など三つの災害指定とともに、発災からほぼ1カ月後に2016年度補正予算が成立。仮設住宅の建設とともに、中小企業や営農、観光業の再建を力強く後押しすることができました。

公明党の取り組みに対して蒲島郁夫知事は、党県本部主催の復興会議(8月7日)の席上、「『大衆とともに』の立党精神で現場の声をしっかりとくみ取ってくれる公明党の存在はとても頼もしい」と感謝と期待を寄せています。

まだまだ熊本の復旧・復興は道半ばです。この未曽有の震災から全ての被災者が被災前の暮らしに戻れるよう、11日に成立した第2次補正予算を大きな追い風にしながら、愛する郷土の再建に、決意も新たに全力で取り組んでまいります。


常に住民目線の公明に期待


熊本商工会議所 専務理事 谷﨑淳一氏

震災から6カ月がたち、多くの中小企業が前を向いて歩み始めています。全国から応援に駆け付けた経営指導員たちも、「熊本の事業者は非常に前向きで元気だ」と話していました。震災を通して、熊本の底力と郷土愛の深さを再認識しました。

国がさまざまな支援制度を迅速に用意してくれたおかげで、事業者の不安を和らげることができたと思います。公明党は、与党の中で常に市民目線の判断を投げ掛けている印象です。被災者の状況は一人一人違います。公明党には、今後もそうした生の声をくみ上げてほしいと期待しています。

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