eコラム「北斗七星」

  • 2016.10.03
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年10月3日(月)付



<新米の其一粒の光かな>高浜虚子。収穫の秋。今は刈り田となった水田地帯を時々自転車で走るが、そこを通る農道は自動車一台分の幅しかなく、前方あるいは後方から自動車が来るたびに立ち止まって道を譲ることになる◆その時の運転者の反応は実にさまざまだ。手を軽く上げ謝意を示す人、無表情で通り過ぎる人。「早く道を譲れ」とばかり徐行せず迫って来る人も中にはいて、都会の通勤途上出会う似たような人が重なる◆歩きスマホの人、キャリーバッグや大きなリュックを引いたり背負って闊歩する人、足を広げて電車の座席に座る人などだ。『若き芸術家たちへ』(中公文庫)に彫刻家・佐藤忠良氏の次のような発言があった◆佐藤氏は「『習い事は枠に入って、枠から出でよ』と言いますが、そういう中からじわっと出てくるのが、個性だ」とし、「電車の中で足広げて座っている若者がいるでしょう? 足を整えればもう一人座れるという計算が立たない」と指摘する◆そして「いたわりの気持ちがあるか、それも人生の枠ですよ。芸術にもそういうことは必要です。他人を蹴っ飛ばして歩いているのが、個性と言われたりしますが、間違いです」と言う◆「いたわりの気持ちも人生の枠」。芸術の秋。そんな考え方に思いを致すひとときがあってもいい。(六)

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