e申年と北方領土~「日露首脳会談」異見~

  • 2016.09.14
  • 情勢/国際
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公明新聞:2016年9月14日(水)付



寄稿
青山学院大学名誉教授 国際比較研究所所長
寺谷弘壬



今月2日、ロシア極東のウラジオストクで、安倍晋三首相とプーチン大統領との日露首脳会談が開かれた。両首脳は、12月に安倍首相の地元・山口県で会談することで合意。北方領土問題や平和条約締結交渉などについても話し合い、今年5月のソチ会談で合意した「新たなアプローチ」に基づいて日露交渉を加速することを確認した。北方領土問題は動き出すのか。寺谷弘壬・青山学院大学名誉教授が寄稿してくれた。



無限の猿定理


両国関係 なぜか12年周期で変化

◆今年の干支は――

9月にもなると、私たちは今年の干支をほぼ忘れかけている。今年はそう、申年。この12年周期の干支こそ、日露関係にとって極めて重要な年と言える。
まず60年前の申年、1956年には日ソ共同宣言の批准があった。そのまた60年前の申年、1896年には、ニコライ2世(日本訪問中、大津で警官の津田に斬りつけられた皇太子=大津事件)の戴冠式に参列した清国大臣、李鴻章が清露密約を結び、満州を事実上ロシアに明け渡した。そして日清関係最悪の折も折、朝鮮の高宗がロシア公使館に逃げ込んで、そこで1年にわたって執務するという異常事態(=露館播遷)が発生する。背後にはもちろん、日本の動きが見え隠れする。
こうした大事件がその後のロシアの動きと日露関係に大きな痕跡を残すことになる。
1860年から12年おきに申年を並べてみると、<表>のごとく「ロシア→ソ連→ロシア」の主要な歴史の変革に遭遇する。1920年のニコラエフスク事件(日本公使以下700名近くが虐殺)やシベリア出兵、32年の日本による満州国建国、さらに44年にはソ連が米国に南樺太・千島全島を要求......。いずれも申年である。こうした現象を「無限の猿定理」(Infinite Monkey Theorem)というそうである。猿にタイプライターを打たせると、むちゃくちゃな字並びの中に一定の法則のようなものが浮かび上がってくるという定理である。



新アプローチ

まずは「経済」で信頼醸成
安倍政権―8項目の協力案を提示、実行へ

◆4島か2島か

それはともかくとして、今年2016年の申年に、領土問題を含めて日露関係が大きく変化する兆しが強まってきた。これまで安倍政権はロシアのプーチン政権と辛抱強く十数回の交渉を行い、「晋三・ウラジミル」の親交を深めてきた。その成果が12月15日、プーチン大統領が安倍首相の地元・山口を訪問して、領土問題に大きな変化をもたらすかもしれない。
歯舞、色丹、国後、択捉の4島返還は日本の悲願である。日本歴代の首相は、この領土問題の解決に甚大な努力をしてきた。
1956年に鳩山一郎首相が訪ソし、初めてフルシチョフ第1書記と首脳会談を行い、日ソ共同宣言に署名した。当初、歯舞、色丹の返還に加え、「領土問題を含む平和条約に関する交渉を継続する」となっていたようだが、締結直前にフルシチョフが継続審議を削除し、「平和条約を締結した後に歯舞、色丹を引き渡す」となったようである。
1973年の田中角栄首相とブレジネフ共産党書記長の会談では「第2次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結する」という日ソ共同声明が出された。
田中首相が「未解決の諸問題に4島が含まれますね」と指を4本立てると、ブレジネフは「ヤー・ズナーユ」(わかっている)と答えたという。しかし、「これではまだ弱い」と直感した田中・ブレジネフ会談の随行員、新井弘一氏は田中にメモを渡し、「もう一度、もっと強く言ってください」とシグナルを送ったそうだ。田中が強く念を押すと、ブレジネフは「ダー、ダー」(イエス、イエス)と答えたという。NHKの政治座談会に出演した時に直接、彼から聞いた話である。
この話を、北方領土をめぐる「日ソ・シンポジウム」(十数年続けた日ソ学者会議)で言うと、ロシアのルーキン氏(当時アメリカ・カナダ上級研究員、のち駐米大使、下院議員議長)は「あの時、ブレジネフさんは風邪を引いていて、ダハー、ダハーと二度咳をしたんですよ」と言い放った。
1991年の海部俊樹・ゴルバチョフ会談からは、4島の帰属に問題が絞られ、概ねこの路線に沿ってその後の日本の歴代首相とロシア大統領の話し合いが行われてきた。

◆政経分離か不可分か

ただ、1997年の橋本龍太郎・エリツィン会談は奇妙な雰囲気に包まれた。「20世紀で起こったことは今世紀で解決しないといけない」という期限に大変執着したので、4島への言及がない。
この首脳会談ですぐにでも「返還しよう」と言ったエリツィンを引き留め、諭したのは、リベラル派といわれた副団長のネムツォフ(当時第1副首相)だという説もある。ネムツォフは2015年2月、クレムリン近くの橋の上で夜中の11時半に射殺されてしまったので、真相は確認できないままである。
それよりも、このクラスノヤールスク首脳会談は「経済優先主義」(ネムツォフの言葉)で経済協力と経済支援が前面に出て、領土問題がないがしろにされた感が強かった。当時、日本では指摘されなかったが、『ニューヨーク・タイムズ』紙では、領土問題が「put aside」、つまり「脇に置かれた」というふうな表現がなされていた。
「領土問題の解決がない限り経済協力や支援をしない」という政経不可分が原則であった官邸筋のスタンスが、政経分離の方にやや傾いた感があった。逆にロシアの立場からすると、政経不可分を強調し始めたことになる。
この路線が、今年5月、ソチ訪問後に安倍首相が発表した「新しいアプローチ」にほかならない。包括的な経済協力を先行すれば、日露の信頼関係が醸成され、領土問題の解決につながっていくというのである。安倍政権はすでにロシア経済分野担当大臣まで新設し、「8項目の経済協力案」を具体的に提示し、分野によってはすでに実行しつつある。
しかし、8項目の筆頭に挙げられている「エネルギー開発の協力」は、米国や欧州連合(EU)が経済制裁を強化している分野であり、しかも交渉で来日するプーチン側近の多くが米国、EUから渡航禁止措置の対象になっている要人である。日本にとっては極めてやりにくい点である。



申年の新・特記に

年末の山口会談 返還へ"動き"あるか

◆「犬猿の仲」解消?

ロシアはこのところ、極東の地盤を強化する策に出ている。ウラジオストク対岸のロシア島(99平方キロメートル)を整備し、北方領土を含めての軍事力の強化や人口増大のために、1ヘクタール(1万平方メートル=3030坪)の土地を市民の希望者に無償分与(2017年1月実施)することを決めた。メドベージェフ首相も3回、北方領土に行っている。
こうした日本国民の神経に触るようなことを一方で続けながら、他方、日本側が犬好きのプーチンに秋田犬(名前「ゆめ」)をあげると、すぐお礼にロシア猫(名前「ミール(平和)」)を日本にプレゼントしてくれている。犬猿の仲(ロシアでは「コーシュカ・ス・サバーコイ(猫犬の仲)」という)の解消を狙ったのだろうか。
いずれにせよ、信頼醸成をはかって、申年2016年の年の暮れに山口での首脳会談にこぎつけ、戦後70年にもわたって放置されてきた北方領土に大きな変化がもたらされるか。そうなれば、申年の特記となるのだが――。



【てらたに・ひろみ】
1937年、神戸市生まれ。フルブライト全額支給生として米プリンストン大学大学院に学ぶ。のち米コロンビア大学客員研究員、ネブラスカ大学教授、青山学院大学教授など歴任。『ロシア・マフィアが世界を支配するとき』など著書多数

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