eコラム「北斗七星」

  • 2016.06.06
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年6月4日(土)付



長崎県対馬の旧藩主、宗家の菩提寺で「諫鼓」という石の彫刻を見たことがある。領主に諫言する時に打ち鳴らす鼓とあった。領民の声に耳を傾けようとする藩主の姿勢に感心したものだ◆自民党単独政権の時代、政府に鼓を鳴らし続けた人がいる。同県雲仙・普賢岳噴火災害の当時、島原市長だった鐘ケ江管一さん(85)だ。被災から約1年間、防災服で毎朝6時前に登庁。自力救済を原則とする災害対策基本法が個人補償を認めない中で、"ひげと防災服と涙"の市長は、復興へ向けて個人補償の実現を叫び続けた◆引退後、自宅を訪ねた筆者に「国会前で切腹し、国を動かそうと思った」と明かした。怒気迫る訴えが国を動かし、使途の自由な災害対策基金が誕生した。きのう、43人の犠牲者を出した大火砕流から25年を迎えた。「こげん復興した」。追悼式に参列した鐘ケ江さんは、犠牲になった消防団員らに語りかけた◆その島原から有明海を隔てた熊本地方では、今日も、公明議員が被災者支援と復興に走り続けている。地震発生から50日。先の国会では、補正予算が早期成立し、義援金の差し押さえ禁止法の制定も実現した◆「諫鼓苔蒸す」とは、諫鼓を用いぬことの久しい意で、善政を意味するという。声が届く復興へ、公明党の存在がますます重要になってくる。(也)

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