eコラム「北斗七星」

  • 2015.04.10
  • 情勢/社会

公明新聞:2015年4月10日(金)付




放映中の大河ドラマ『花燃ゆ』は、明治の新時代を開いた志士の群像を描いているが、作家の司馬遼太郎氏は「幕末の長州の若者のなかで、吉田稔麿というのが好きである」(『街道をゆく・長州路』)と書いている◆稔麿は、吉田松陰主宰の松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞と並ぶ「三秀」とされ、松陰に最も愛された逸材だ。元治元年(1864年)6月5日、新選組が、京都三条の旅籠・池田屋に会合した諸藩の志士を襲撃した「池田屋事変」に斃れる◆新選組との死闘で、稔麿は負傷しながら白刃をかいくぐり修羅場を脱出。長州藩邸に急を報じ援兵を求めてから、手槍一本を引っ提げ、絶望的な状況の池田屋に引き返し、若い命を散らす◆稔麿は機略家だ。彼自身が駆け付けたところで仲間が救えないことは分かっていた。藩邸内に留まることは恥ではない。が、そうしなかった。「つぎつぎに屠殺されてゆく仲間を、そのままにしておくに忍びず」「ただ、忍びぬままの情念だけで駆けだしたにちがいない」と司馬氏は記す。「稔麿の最期はメロスに似ている」とも◆理屈ではなく、闘う仲間のために闘う。そんな友の熱い情念に支えられて、公明党は幾度も際どい勝利を手繰り寄せてきた。人が生きる、地方創生の時代を断固、切り開き、その真心に応えていかなければならない。(中)

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