e「人間の復興」へ あの日、あの時

  • 2015.03.11
  • 情勢/社会

公明新聞:2015年3月11日(水)付




検証



被災地から深い悲しみが消え去ることはなかった。それでも顔を上げ、復興に向けた槌音を力強く響かせながら、きょう11日、東日本大震災から丸4年を迎えた。公明党は「人間の復興」の旗を握りしめ、あの日、あの時、現場の最前線を走り抜いてきた。目の前の一人に寄り添いながら現実と向き合い、格闘し、復興を前に推し進めてきたこれまでの取り組みを検証する。



生活



被災者に寄り添い国動かす



「これは、あまりにも酷じゃないのか!」―。2012年3月の国会審議。公明党東日本大震災復興対策本部事務局長(当時)の石田祝稔衆院議員は民主党政権(同)に怒気を帯びた声で迫った。党宮城県本部が実施した仮設住宅入居者へのアンケート結果を基に、風呂の追いだき機能の必要性を訴えたものの、「お金が掛かる」「対応が困難」と、当時の閣僚が心ない答弁に終始したからだ。


公明党には被災者に寄り添う使命がある。市町村に、県に「追いだき追加」を求め、国会の代表質問でも取り上げた。被災地の思いを背負った公明議員の気迫と執念に、最後は政府が「来年は進めるよう努力したい」と回答。12年4月に設置方針が発表された。


未曾有の大災害に混乱を極める民主党政権。これに対し、復興の支柱である東日本大震災復興基本法(11年6月成立)に魂を込めたのも公明党だった。現場の声を基に復興庁の設置、復興債の発行、復興特区の創設を盛り込んだ。


「本当に助かる!」と喜ばれた追いだき機能付きの風呂は、今も仮設入居者の体と心を温め続ける。ただ、4年間で蓄積した疲労までは癒やせないのも事実だ。公明党は85%が着手段階に入った災害公営住宅の早期実現など、住まいの確保に全力を挙げていく。



福島



18歳以下の医療費無償化「公明が受け止め実現」



地震と津波、原発事故の複合災害に見舞われた福島県。当時の民主党政権の遅くて鈍い対応に不安と不満が日増しに広がった。「全議員が一丸となり、復興を担おう!」。与野党の垣根を越え、公明党が地方、国会議員のネットワークを生かし、被災者の声をきめ細かく聞き、政治に反映させていく。


その代表例が福島復興再生特別措置法だ。当初の政府案を与野党協議で大きく修正し、基本理念に国の責任を明記したほか、18歳以下の医療費無償化実現の道筋も付けた。同法成立直前の2012年3月に開かれた党県代表懇談会で佐藤雄平福島県知事(当時)は「私たちの要望を受け止め、実現させてくださったのが公明党だ」と評価した。


公明党は、風評被害の払しょくにも全力を挙げている。福島県産米「天のつぶ」を大相撲本場所の優勝力士に贈る活動は公明党の提案で実現。衆参両院の議員会館では、岩手、宮城、福島の被災3県で生産・製造された産品の展示即売会などを開催した。


この1カ月の間に、原発事故避難者に対する高速道路の無料化措置の延長や、中間貯蔵施設の汚染土の受け入れなどが相次いで決まったが、福島再生は緒に就いたばかり。今もなお、県内外に約12万人が避難する。公明党は、被災者一人一人に寄り添った支援策の実現に取り組んでいく。



なりわい



再建へ"打てば響く"反応



養殖ワカメの出荷作業を見守る公明議員ら=2012年3月 岩手・釜石市がれきが散乱し、津波の爪痕が深く残る2011年5月の宮城県気仙沼市魚市場。それでも海の男たちは、カツオ漁最盛期の6月に市場を再開しようと懸命にもがいていた。「なんとか、氷と燃油、エサが手に入れば」―。


その願いを受け止め、公明党は即座に動いた。国に直談判し、矢継ぎ早に手を打つ。間もなく全国から支援が集まり、同年6月23日の市場再開にこぎつけた。「公明党議員は"打てば響く"」と振り返る漁業関係者たち。カツオ水揚げ量日本一の偉業を昨年まで18年連続で守り抜いている。


被災者の生活に直結する「なりわい」の再生は、復興の原動力だ。被災した中小企業の再建を後押しするために、公明党が力を注いだのが、施設や設備の復旧・整備を支援するグループ補助金の拡充。これまで8道県の605グループ、1万416社への交付が決定。地域の産業再建と雇用確保に大きな効果を挙げている。


制度創設当初、限られた予算に応募が殺到し、採用されないケースが相次いだ。必死に立ち上がろうとする経営者の思いに応えるため、12年10月には井上義久幹事長が被災地の県議らと中小企業庁長官に補助金の改善を要望。こうした動きが後押しとなり、予算増額や制度充実が実現した。


資材価格の高騰、人手不足に風評被害。今も東北の産業は課題が山積する。公明党の闘いに終わりはない。



命の道路



"大動脈"通り 復興加速を



被災地に復興加速の"大動脈"が通った。東北南部の沿岸地域と首都圏を結ぶ常磐自動車道が今月1日に全線開通し、宮城県亘理町から埼玉県三郷市までが一本の高速道路でつながった。


小雪が舞う厳しい寒さにもかかわらず、記念式典には開通を待ちわびた大勢の関係者が駆け付けた。「観光振興が期待できる」「災害時には『命の道路』になる」―。興奮気味に話す住民は、復旧・復興が少しずつ前進していると実感した様子だった。


太田昭宏国土交通相(公明党)は、この日を特別な思いで迎えた。当初夏ごろの予定だった全線開通の時期を2度前倒しさせ、早期実現に突き進んできたからだ。


太田国交相が2012年12月に就任して以来、復興は明らかに加速度を増している。建設職人と資材の不足に対しては、職人の賃金の基準となる「設計労務単価」の引き上げや、岩手県宮古、釜石両市への生コンクリートの公共プラント建設など、素早く手を打った。


今月21日にはJR石巻線、5月30日にはJR仙石線(共に宮城県内)が全線開通する。


「少しでも復興を実感してほしい」。その一心で基幹インフラの整備に力を注いできた太田国交相。一部区間が不通になっているJR常磐線も「全線開通に向けて全力で取り組む」と意気込む。

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