e復興の足跡

  • 2015.01.19
  • 情勢/社会

公明新聞:2015年1月17日(土)付




現状と課題



6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災。家族を失い、友を失い、そして住まいも生活の糧も失った人々は、それでも渾身の力を振り絞り、がれきの中から立ち上がった―。被災地のみならず、日本社会を根底から揺らした「1.17」への応戦。あらためてその現状と課題を追った。=関西支局特別取材班



"つぎはぎ状態"の支援制度再構築を



東日本大震災からほどなく、民間団体「兵庫県震災復興研究センター」(神戸市長田区)の事務所に一本の電話が入った。「本当に生業支援で現金給付できるんですか」。被災自治体からの問い合わせだ。同センターが提言した、災害救助法による現金支給の説明が目に止まったのだという。


「支援制度は災害のたびに継ぎ足され、つぎはぎ状態。自治体職員すら全体像を把握できていない」と、同センターの出口俊一事務局長は指摘する。制度には生業支援のほか仮設住宅の提供も含む災害救助法や、遺族らへの現金給付を定めた災害弔慰金法、さらに公営住宅法などが入り組む。


一方、阪神・淡路大震災で誕生した被災者生活再建支援法は、2度の改正で全壊世帯への支給額が最高300万円に増額、年収や使途の制限も撤廃された。この政治決断による、使い勝手の良い制度への改正は、公明党の奮闘によるものだ。


出口事務局長は語る。「分かりやすい支援制度の実現には政治決断が必要だ。公明党が合意形成の要となってほしい」



"靴の街"活性化へ奮闘



「神戸シューズ」で輸入品に対抗



阪神・淡路大震災で壊滅的なダメージを受けた地場産業。特に、深刻な被害に遭ったのが、神戸市長田区に集積するケミカルシューズ業界だ。

日本ケミカルシューズ工業組合に加盟する同市内192社のうち、158社が全半壊し、靴の生産量は3131万足から震災後、半分以下に激減。復興のシンボル施設「シューズプラザ」でケミカルシューズなどを販売してきたが「安価な輸入品に押され、今も業界は苦しい状況」(石井章一・同組合事務局長)という。



そこで、同組合は海外製品に対抗し"靴の街"活性化を図ろうとケミカルシューズのブランド化を計画。そして昨年3月、特許庁の「地域団体商標」に登録されたのが「神戸シューズ」だ。くつのまちながた神戸株式会社が同シューズをインターネットや百貨店での催事場を通して販売。同社の平野雅彦営業室長は「日本人の足に合い、好まれるデザインの靴で勝負したい」と意気込む。


「生産量は減ったが、高品質化で海外への販路拡大の芽も出てきている」。兵庫県立大学の加藤恵正教授は、こう指摘している。



一般家屋の耐震化急ぐ



助成含め行政の対策粘り強く



阪神・淡路大震災では、犠牲者のうち約8割が家屋の倒壊による圧死だった。特に耐震基準に満たない1981年以前の建物に被害が集中したことを踏まえ、旧耐震基準で建てられた住宅の耐震化が急がれている。


国土交通省によると、全国4950万戸の住宅のうち1050万戸は、現在の建築基準法の耐震基準を満たしていないという。大震災で12万棟以上の住宅が全半壊するなど、甚大な被害に見舞われた神戸市では、2008年の耐震化率は、03年から5年間で2ポイント増の86%だ。


耐震化をさらに進めるには「防災意識の希薄化」「お金が掛かる」―など課題を克服する必要がある。築46年の家に住む桑原弥栄美さん(74)=神戸市長田区=は「家計に見合う助成があれば改修したい」と語る。


行政側も手をこまねいているわけではない。神戸市では、家屋内に安価でできる耐震シェルターの設置が進みつつある。一方、兵庫県は15年度から、旧耐震基準の住宅建て替え費用の一部を助成する新制度を導入する方針だ。大震災から20年、今も粘り強い取り組みが続いている。



教訓生かし要援護者を守る



地域団体が高齢者らを避難誘導



一人では避難が難しい要援護者をいかに守るのか―。最も被害が大きかった神戸市では、課題として指摘された災害弱者への避難支援を充実させるため「災害時要援護者支援条例」が2013年に施行され、行政と地域団体との連携が進んでいる。


同条例は政令市では初の取り組みで、65歳以上の単身高齢者や身体障害者手帳1、2級の人などの個人情報を市が本人の同意を得た上で自治会などに提供できるもの。最大の特徴は、同意を得る際、回答が得られない、もしくは明らかに拒否していない場合、「同意」とみなすと定めることによって、支援できるようになった点だ。


「車いすで避難できるか心配」との切実な声を聞いた市議会公明党が同条例制定を主導。市は現在、地域団体からの要援護者支援の申し出を受け付けている。また、防災訓練を通し要援護者と共に避難経路確認も実施。


「日頃から地域の連携を強くしていきたい」と市計画調整課の奥田高大係長。大震災の教訓を日頃の備えに生かす。



赤羽一嘉衆院議員(党兵庫県本部代表)に聞く



災害対策の専門集団が必要



赤羽一嘉衆院議員阪神・淡路大震災に自らも被災しながら、復旧・復興に奮闘してきた赤羽一嘉衆院議員。災害対策や復興支援策の変遷と課題について聞いた。


―阪神・淡路大震災から20年の節目を迎えました。


赤羽一嘉衆院議員 20秒弱の揺れで、多くの人が家族や住宅、仕事を失いました。避難所生活も長期化し、真面目に生きてきた人々の尊厳が損なわれたのが、阪神・淡路大震災だったと思います。


―大震災から支援制度が根本的に見直されました。


赤羽 私が最も腐心したのは被災者生活再建支援法の抜本改正です。「住宅再建に公金は出せない」という原則論を退け、所得制限や使途要件なしの"見舞い金"として、最終的に最大300万円を支給できるようにしました。東日本大震災では約22万世帯に支給され、感無量です。


―その他の制度や支援策はどう変わりましたか。


赤羽 がれきの処理は阪神・淡路大震災から国の負担になっています。仮設住宅への空調設置、公共建築や水道管などの耐震化も進み、学校耐震化は完了目前。災害弱者支援を地域で行う、防災福祉コミュニティーも神戸から全国に広がりつつあります。自治体間の災害時の相互応援協定の増加も、阪神・淡路大震災が契機となりました。


―今後はどのような対策が必要でしょうか。


赤羽 東日本大震災の復興で公明党は、住宅再建だけでなく生業の再建に力を注ぐよう訴えています。また今後の大規模災害に備え、災害対策の専門集団養成も急がれます。

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