e被災地の今

  • 2014.09.11
  • 情勢/社会

公明新聞:2014年9月11日(木)付



なお続く苦難の道



震災3年半―。道路整備に、地盤のかさ上げに、除染作業にと、被災地に響く復興加速の鎚音は日増しに高まっている。だが、長引く仮設住宅での暮らしや異郷での避難生活に、被災者の心身にわたる疲労が限界に近づきつつあるのも事実。原発事故の後遺症にあえぐ福島の苦悩は続き、世界に誇る三陸漁業の復活や、生活の基盤である"住"の確保も道半ばだ。"被災地の今"を歩いた。=東日本大震災取材班 村上亨、篠倉淳徳、南部光



避難指示解除5カ月 故郷再生へ手探りの挑戦



住民帰還率は33%にとどまる

福島・田村市都路

「若い世代や子どもの声が聞こえないのは、寂しいね」―。4月に自宅へ戻った坪井幸一さん(65)は、こうしみじみと語った。

今年4月1日、立ち入りが制限されていた旧警戒区域(東京電力福島第1原発から半径20キロ圏内)の中で初めて避難指示が解除された福島県田村市都路地区。しかし帰還した住民は47世帯117人、わずか33.1%(8月31日現在)にとどまる。

7月に自宅を改築し、生まれ育った都路へ戻った坪井満さん(80)、ミツさん(79)、益子さん(57)の家族は、「外で土をいじっていると気分も晴れて少しずつ落ち着いてきた」と話す。だが、「3年も仮設住宅にいると体は動かないし、畑で作った物が"福島の物だから"と捨てられるのも嫌だから、農業を再開しようか迷っている」と、以前の生活が取り戻せないことへの苛立ちもにじませる。

一方、放射線の空間線量の高さや家の改築費用などの問題から帰還を断念した人も少なくない。田村市内のみなし仮設で避難生活を送る伊藤幸子さん(65)もそんな一人。「どうしても不安を拭えない」と寂しげに語る姿に、指示解除後も苦悩の日々が続く"都路の今"の風景が重なる。

こうした状況の中、「あすの都路のために」と新たな挑戦を開始した人もいる。今泉富代さん(66)、渡辺徳子さん(64)姉妹は、食堂「よりあい処 華」を6月に開店させた。「愛着ある都路を活性化したいし、守りたい。だから、私たちが頑張るの」

坪井久夫さん(64)、千賀子さん(61)夫妻は、避難を始めた3年前から「絶対に都路に帰って農業を再開させる」との思いで着々と準備を進めてきた。そして故郷の土を踏んだ今年、収穫量を避難前の水準まで回復。「自分が頑張れば、帰還するか迷っている人たちも後に続いてくれるはず」。たわわに実ったハウスのトマトを誇らしげに収穫する夫妻の決意は固い。

国は、都路に次いで川内村の避難指示を10月1日に解除する方針を示した。一歩先に解除した都路が、これら"後発組"の「モデル」となるのは間違いない。帰還した住民の暮らしの安定をどう確保するか。インフラ整備をどう進めるか。ふるさと再生へ手探りの挑戦が続く都路への、官民挙げての一層の支援が待たれている。

〈メモ〉旧警戒区域の9市町村のうち、具体的に帰還への道筋が見えるのは、10月に避難指示解除の方針を示した川内村、来年春以降の帰町をめざす楢葉町、2年後の解除を目標にしている南相馬市の3市町村。葛尾村は除染作業の遅れから今年春の解除予定を1年先送りしたため、不透明な状況が続く。

今後の避難指示解除に向けて、大きな障壁となっているものの一つに、いまだ手つかずになったままの山林の除染がある。解除された都路でも住民から山林除染の要望は数多く上がっているが、効果的な除染方法や見通しなどが立っていないのが実情だ。



復活未だ、三陸漁業 濃淡にじむ漁港復旧



生産再開するも販路回復に苦戦

岩手県

本州のトップを切ってサンマの水揚げが始まった岩手県大船渡市。今年4月に完成した新しい魚市場は連日、活気がみなぎる。

3日早朝、水揚げ作業に追われる第15三笠丸の千葉博幸漁労長は「今年のサンマは大きいよ。期待できるね」と白い歯を見せた。

ここ大船渡漁港は昨年のサンマの水揚げが全国2位。大船渡魚市場株式会社の千葉隆美専務取締役は「岸壁は6割まで復旧した。早期完成を切に願う」と話す。

新しいコンクリートの白さが目立つ大船渡漁港。ここから大船渡湾を北回りで11キロ走るとウニ、アワビ漁が盛んに行われていた長崎漁港にたどり着く。地盤沈下した岸壁には延々と土のうが並び、雑草が生い茂る。復興工事が進む大船渡漁港とは対照的に、"あの日"から時が止まったような光景だ。

同漁港では、震災後、漁港の地盤沈下によって漁船の係留ができなくなり、漁のたびに漁船をフォークリフトで陸揚げする漁師が少なくない。大きな漁船を持つ漁業者は30分かけて大船渡漁港に停泊させている。志田徳弥さんは、「目の前に漁港があるのに使えないから、油代が余分にかかる」と窮状を訴える。海を見つめながら「震災から3年半でもこのありさまだ」と語る表情にも"疲れ"が浮かぶ。

同市内の全22港は2015年度末までに復旧工事を完了する予定。市農林水産部水産課の千葉英彦課長は「市内の生コン供給は、ギリギリだ。労働者不足も解消されていない」と不安をにじませる。

岩手の水産業再生に欠かせないのが生産量日本一を誇るワカメ養殖である。宮古市田老地区では、11年10月には養殖を再開し、いち早く震災から立ち上がった。

震災前から「真崎わかめ」のブランドを確立していた同地区だが、道のりはいまだ険しい。田老町漁業協同組合の小林昭栄代表理事組合長は「震災で出荷できなかった間に販路が別の取引先に取って代わられた。風評被害も重なり今年は赤字だ」と肩を落とす。

同漁協では、来年1月に震災前と同規模の100人が作業できる新工場が完成する。小林代表理事組合長は「新工場が完成すれば田老の主要な雇用の場になる。本腰を入れて地域を復興、活性化させたい」と希望をつないでいる。

〈メモ〉漁港の復旧状況は、岩手県では108港のうち完成が30%、着工が69%、未着工が1%(6月30日現在)。宮城県では被災漁港140港のうち完成22.8%、着工76.1%(8月11日現在)。原発事故の影響で福島県ではいまだ試験操業にとどまる。

また、岩手労働局によると宮古、釜石、大船渡3市の水産加工が占める食料品製造業は有効求人数521人に対し、有効求職者数は159人(7月現在)。一方、農林水産省の13年漁業センサスによると、被災3県の漁業従事者は前回08年から7524人(34.8%)減の1万4074人と厳しい現実が続いている。



限界迫る仮設暮らし 進む劣化、しぼむ自治会



高齢者支援など住民目線で

宮城県

夜の帳がおり、画一に並ぶプレハブの仮設住宅を見渡す。心なしか部屋からもれる明かりが遠慮がちにともっているように見える。―ドンドンドン。「テレビの音が大きいと隣から叩かれるの。我慢ばっかり。こんな生活がいつまで続くのかね」。宮城県石巻市の仮設大森第3団地で暮らす佐藤つぎ子さん(77)は、部屋を仕切る薄い壁を見つめ、表情を曇らせた。

4年目に入った"仮"の暮らし。入居者は次第に新居を構える者、故郷を離れる者と、各々が自分の住まいを選択していく。

「今年で40世帯は減った。入居者の7割が独居高齢者だ」と語るのは、同団地の阿部好広自治会長(67)。集会所での行事も悩みの種だという。「映画の上映会をやっても集まりが悪いし、回数を減らそうと考えてんだ......」

建物にも変化が生じている。同団地の14号棟に住む阿部陽子さん(75)の部屋に入ると違和感があった。室内が傾いているのだ。阿部さんは昨年5月末、起床すると、突然めまいがした。「体調がおかしい」と感じた阿部さんらの要望を受け、県と市は実態を調査。計測した12棟のうち7棟で基準を上回る傾斜を確認した。阿部さんは今も、"傾く部屋"での生活を余儀なくされている。

「復興住宅に入れたから良いってもんでもないぞ」。今春まで仙台市若林区の荒井小用地仮設住宅で、自治会長を務めた山本靖一さん(74)は語気を強めた。仙台市は今年4月から、70歳以上を優先して復興公営住宅への入居を開始。山本さんは、復興住宅に転居した十数人の部屋を訪ね歩いている。

「あっち(復興住宅)に行くと、話し相手がいなくて皆、泣いてんだ。震災のことも思い出すんだろう」と語った。仮設住宅では友人や顔なじみができ、集会所などで集まり、語らうことができた。しかし、生活改善を望んで仮設を離れた独り暮らしの高齢者は人間関係が希薄になり、"強烈な孤独"に襲われるというのだ。

市街地から離れた場所に建設された復興住宅では、生活面の不便も強いられる。中には、片道で1時間以上歩いて買い物に行く高齢者もいる。山本さんは吐き捨てるように言った。「知り合いもいない。移動もできない。そんな年寄りがいっぱいいる。誰がこの人たちの面倒を見てくれるんかね」

〈メモ〉岩手、宮城、福島の被災3県によると、8月末時点でプレハブ仮設住宅約4万戸には8万9323人が住む。入居者は復興公営住宅への転居を望んでいるが、3県で整備が計画される約2万9000戸の着工率は約4割で、完成率に至っては1割を切る。

宮城県気仙沼市の仮設住宅で夫と暮らす鈴木ヒロミさん(81)は「いつか、ゆっくり足を伸ばして眠りたい」と語る。鈴木さん夫妻が希望する復興住宅への入居は2016年3月の予定。劣化する仮設住宅の修繕や自治会活動の維持など"残された住民"の目線に立つ支援が求められている。

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