eコラム「北斗七星」

  • 2018.08.09
  • 情勢/社会
2018年8月9日


取材現場の出会いの中には、何年たっても忘れられないものがある。きょう原爆の日を迎える長崎の被爆者施設で会った、入所中の女性被爆者2人がそうだ。30数年前のこと◆2人とも10代での被爆。命は助かったものの、原爆によって青春時代の輝きを一瞬にして奪われた。家庭や子を持つ夢も断たれた。さらに過酷な後遺症に悩まされ続ける日々。お話を伺うのがつらかった◆2人が体験した原爆爆発の瞬間を、岩波ジュニア新書の『新版ナガサキ―1945年8月9日』(長崎総合科学大学平和文化研究所編)は、『原子爆弾救護報告』を引いて、次のように伝えている◆「市民は先ず異状な爆音を聞き、すぐついで非常に明るい白色の閃光を見た。(略)......爆心近くのものは同時に熱を皮膚に感じた。次で暴風の如き爆圧が襲来した。地上一切のものは瞬時に粉砕せられ、地球が裸になった!」◆まさに地獄絵図だ。<わたしが一番きれいだったとき/街々はがらがらと崩れていって>。これは、やはり10代で先の戦争を体験した詩人・茨木のり子さんの作品『わたしが一番きれいだったとき』の書き出し◆彼女は叫ぶ。<わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあるものか>。悲惨な戦争を繰り返してはならない。(六)

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