eコラム「座標軸」

  • 2018.07.30
  • 情勢/社会
2018年7月29日


ブロック塀が命を奪う凶器に豹変すると知ったのは、今から40年前のことだ。1978年6月の宮城県沖地震である。マグニチュード7.4で、仙台市などでは最大震度5を観測。死者28人のうち、小学生を含む18人がブロック塀や門柱の下敷きとなった◆ライフラインは止まり、住宅の全半壊は7000棟を超えた。揺れが収まると同時に、近隣の安否確認に走ったことを覚えている。当時、中学生だったクラスメートの家は倒壊。ブロック塀や石塀が崩れた友人宅もあった◆「都市型地震の典型」とされたこの地震を契機に、81年に建築基準法が改正され、住宅やブロック塀の耐震基準が強化された。以来、震度6、7の揺れにも耐えられる住宅が増えた一方で、ブロック塀による犠牲者はいまだに無くならない。こうした現状に、東北工業大学の最知正芳教授は「自治体は、『たかがブロック塀』との認識を改めるべきだ」と厳しく指摘する◆女子児童が犠牲となった大阪北部地震から1カ月余り。各地で学校を中心にブロック塀の緊急点検が急ピッチで進む。「危険」と判定された塀の撤去も始まった◆だが、肝心の民家の塀の場合は、多くの自治体で所有者任せとなっている。国を挙げて対策を急ぐべきだ。

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