eコラム「北斗七星」

  • 2017.10.19
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年10月19日(木)付



偶然なのか。「寛容な改革保守政党を目指す」(希望の党)、「国民とともに進む改革政党」(立憲民主党)と、二つの新党の綱領には改革の2文字が顔を出す。しかし、選挙後の首班指名候補があいまいな希望の党は、何をどう改めるのか全く分からない。かつての菅内閣の主要な顔ぶれが揃った立憲民主党も、日本の将来図を描いていない◆この両党に加えて、無所属、民進党残留組と四つに分裂した民進党で、衆院選後の再結集を模索する動きがかまびすしい。事実なら、なぜ新党を結成したのか◆数々の警句を残した米国人コラムニストのA・ビアスは、改革の意味を皮肉を込めて100余年前にこう定義した。「選挙運動に利用される透かし絵みたいなもので、ご用済みとなりしだい、廃棄処分にされる」(「新撰・新訳 悪魔の辞典」講談社)◆いささか乱暴かもしれないが、政党の理念や綱領は老舗ののれんに例えられないだろうか。幾多の風雪に耐え信用第一の商売を続けていけば、店の評価につながり、商談は増えて客足も伸びよう。のれんは、その結晶である。ところが、自信ある品揃えができないためか、看板を変えて新装開店したものの、評判はさっぱり。次はどこに出店するか、それとも古巣に戻るか◆右往左往する野党の姿には、保身と打算が透かし絵のようにくっきり映っている。(明)

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