eコラム「北斗七星」

  • 2017.08.28
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年8月28日(月)付



集団自決を免れた沖縄・座間味島(座間味村)の生存者を取材したことがある。米軍上陸を前に、村で402人(村史)が自決した。惨状が頭を離れず、50年経った当時も、うなされると聞いた◆体験を思い出したのは、同じ特攻艇の基地、鹿児島・奄美群島が舞台の映画「海辺の生と死」(全国順次公開)を見たからだ。朔中尉と島の女性、トエとの出会いを描く。モデルは、ともに作家の島尾敏雄、ミホ夫妻。加計呂麻島の出来事を綴った自伝的小説が下敷きだ。今年、敏雄生誕100年を迎えた◆8月13日、朔に出撃命令が下る。トエは喪服をまとい、短刀を胸に海辺へ。朔にすがり、取り乱すトエ。待機のまま15日を迎えるが、奄美にルーツを持つ満島ひかりの迫真の演技が胸を打つ◆宴席で兵隊らが「同期の桜」を歌う場面がある。「歌わないのですか?」と聞くトエに朔が言う。「あんな歌よりも、この島の歌を覚えたい」。後に敏雄が唱えた「ヤポネシア論」の原点を見る思いがした。同論は奄美や沖縄を「琉球弧」と呼び、日本列島を島の連なりと捉える◆その琉球弧をぞんざいに扱ってきた近代日本を、敏雄は「大陸ばかりに目を向けて、本土で中央集権を作ってきた」(『琉球弧の視点から』)と指弾した。国家主義に転落した日本の病理を突いている。(也)

月別アーカイブ

iこのページの先頭へ