eシベリア抑留 次世代に伝承

  • 2017.08.14
  • 情勢/国際
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公明新聞:2017年8月14日(月)付



京都・舞鶴市引揚記念館 「語り部」を養成



あす15日、先の大戦終結から72年目を迎える。終戦直後、大陸にいた60万以上の日本人が旧ソ連に強制連行された「シベリア抑留」は今なお、大きな爪痕を残す。戦争を知らない世代が増える中、シベリアでの過酷な体験をどう次世代に伝えていくか。京都府舞鶴市の引揚記念館が取り組む「語り部」活動に迫った。


歴史の風化との闘い


世界記憶遺産登録が追い風 中学生の担い手も誕生

引揚記念館の展示室。「マイナス50度って想像できますか?」。収容所の模型を見る女子中学生に優しく問い掛けるのは谷口栄一さん。語り部を担うNPO法人「舞鶴・引揚語りの会」の副理事長を務める。

話に耳を傾けるのは、中学3年生の清水美芳さん。夏休みを利用して大阪から訪れた。2年前初めて来館した際は「怖いな」と思っただけだったが、今回は谷口さんの説明をじっくり聞いていた。学校の「平和新聞」にシベリア抑留を取り上げるようで、"取材"や調査活動は「これで大丈夫」と自信を覗かせた。

女子中学生とも滑らかに言葉を交わす谷口さんだが、語り部の仕事は「実際やってみると、子どもに史実を伝えることは難しい」と吐露する。「シラミやノミと言ってもピンと来ないし、南京虫はなおさら。次世代にどう語っていくかは大きな課題だ」という。子どもたちに分かりやすく伝えるには、創意工夫が欠かせないようだ。

戦争体験のない世代が増える中、抑留や引き揚げの史実を後世に語り継ごうと、抑留体験者による「語り部」活動は1989年、スタート。だが年を追うごとに、語り部は高齢化し、第一線での活動がしだいに難しくなった。このため、次世代の語り部を育てる養成講座を2004年から始めた。養成講座は、近現代史を学んだり体験者の話を聞く講座を12回(現在)受け、修了証が発行されると語り部として認められる仕組み。谷口さんはその第1期生だという。

養成講座は09年まで毎年開催され、語り部は当初28人いたが、応募者は徐々に減り「最も少ない時は3人」(谷口さん)まで落ち込み、翌年、講座は中断した。

語り部候補の減少と合わせるかのように、来館者も激減した。開館3年目は年間20万人を超すにぎわいぶりだったが、11年には10万人を割り込み、翌年は約7万人に減少。当初は多くの抑留関係者が来館したが、死亡したり高齢化するにつれ、訪れる人は目に見えて減った。

抑留の歴史を風化させないため、舞鶴市は同館を直営化し、15年に館内を全面リニューアルした。この年、同館が所蔵する570点の抑留資料が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録されたことも後押しした。

「ユネスコ登録を街ぐるみで取り組んでいただいたおかげで、今は(年間来場)13万人まで増えている」。同館の山下美晴館長は声を弾ませる。

世界記憶遺産の登録が追い風となり、若者の関心が高まり来館者も増えた。このため、語り部の増員が急務となったため、同館は養成講座を6年ぶりに再開。15年度は13人の語り部が誕生し、16年度には初めて中学生3人が講座を受講した。現在、語り部は45人の陣容を擁する。

今月11日、同館で夏休み企画「ミュージアムトーク」が開催され、中学3年の井上鈴奈さんと谷口喜蘭さんが語り部としてデビューを飾った。2人は、小学生に抑留を説明したり、収容所で抑留者と一緒に暮らし、日本に引き揚げてきた「クロ」という名前の犬を描いた紙芝居を演じたりと、初日から大活躍。来場者からは「感情をこめて上手に話していた」と好評だった。


小学6年生全員に見学の機会

次世代の子どもたちに抑留体験の記憶と記録をつないでいくには、学校現場の教育も重要だ。舞鶴市では、市内全18小学校の6年生は必ず同館を見学することになっているという。同館学芸員が小学校に赴き事前講習を行った後、館内を見学するプログラムで、見学の際には、抑留体験を持つ唯一の語り部による生の話も聞くことができる。

山下館長は「舞鶴は、大陸から引き揚げた人に、日本茶やふかした芋を差し出して歓迎した。そういう歴史も、子どもたちに伝えていきたい」と意気込む。


公明、平和の拠点づくりの中核に

「戦争を二度と繰り返してはならない」。この思いから、舞鶴市議会公明党(上羽和幸幹事長)は32年前、平和の拠点となる引揚記念館の建設に立ち上がった。

竹内正一市議(当時)が市に建設を提案すると、市は趣旨を理解しつつも財源を理由に拒否。だが、この提案がきっかけとなって、全国から7000万円もの募金が集まった。市議会公明党と全国の引き揚げ者らの行動によって、同館は1988年開設。市議会公明党はそれ以降も、同館の整備・拡充を進めてきた。

また、OB議員の山根岩吉さんは議員勇退後も「引揚を記念する舞鶴全国友の会」副会長として同館の発展に尽力。引き揚げ者が祖国への一歩をしるした「平桟橋」を同館近くに復元しようと奔走。府や市を説得して94年に実現させた。

平和への思いは、今も脈々と流れる。市議会公明党の推進で、絵画展示室や抑留生活体験室などの整備が急ピッチで進んでいる。

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