e「人間の復興」へ歩む

  • 2017.03.13
  • 情勢/解説
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公明新聞:2017年3月12日(日)付



震災6年と公明党



岩手、宮城 災害公営住宅の入居が加速
福島 今春、相次ぎ避難指示解除

その地にも当たり前の日常があった。あの日まで。東日本大震災から6年。東京電力福島第1原発事故が重なる未曽有の大災害から被災者は、筆舌に尽くせぬ試練を一歩ずつ乗り越え、ここまでたどり着いた。

公明党が被災地に果たすべき使命は何か。被災者一人一人が「人間の復興」を成し遂げるまで、声をきめ細かく聞き、政治に反映させていくことに尽きる。発災直後、津波が爪痕を深く残し、がれきが散乱する現場には、自ら被災しながらも住民のために必至に奔走する地方議員がいた。その「大衆とともに」の立党精神を体現する姿に呼応し、公明議員は全党挙げて現場へ入り続けた。

発災当時の民主党政権は大混乱に陥った。それでも、公明党が被災者の思いを背負い、仮設住宅の風呂の追いだき機能追加や中小企業の「グループ補助金」創設・拡充など、国を動かした。2012年12月、自公連立政権が発足。復興は加速した。

今月4日、宮城県の被災地を訪れた公明党の山口那津男代表に一人の住民が語り掛けた。「公明党が頼り」と。20年度までの「復興・創生期間」で実績を積み重ね、断じて期待に応えたい。


復興・創生期間1年目


被災者支援 切れ目なく

被災地は2011年度から20年度まで10年間の復興期間を折り返し、16年度から復興の総仕上げに向けた「復興・創生期間」に入った。
「住み心地? ああ良いね。ありがたい」。昨春、5年に及ぶ避難所、仮設暮らしを経て宮城県気仙沼市の幸町地区災害公営住宅に入居した内海正利さん(66)は、満足げに話す。津波で全てを失った沿岸地域の住民も、ようやく春の訪れを感じ始めているようだ。

遅れてきた災害公営住宅の整備は、公明党が土地収用の要件緩和などに取り組み、一気に加速。17年度末には、宮城、岩手両県を中心とする計画戸数の整備がほぼ完了する見込みだ。

被災3県の延べ550キロメートルを国直轄事業化した復興道路・復興支援道路は20年度までに9割が開通する見通しに。漁港の復旧状況は99%に達し、主要な魚市場は、震災前のにぎわいを取り戻しつつある。

生活再建や生業再生の基盤が着々と整う一方、避難生活者はいまだ約12万人に上る。切れ目のない被災者支援が重要だ。政府は16年度、被災者の心のケアや生活再建を支える「被災者支援総合交付金」を創設し、従来の支援を大幅に拡充した。

同交付金の一環として、人のつながりや生きがい創出をめざす「心の復興」事業の予算も約5倍に積み増した。NPO法人「遠野まごころネット」(岩手県遠野市)もこの事業を活用し、大槌町で農作業を通じた交流事業を展開する。「大槌では、まだ仮設住まいが半分くらい。日常生活に笑顔が戻るまで、誰一人、取り残さない」と、臼澤良一理事長(68)は力を込める。

一方、東京電力福島第1原発事故の影響が色濃く残る福島でも、来月にかけて4町村で、立ち入りできない帰還困難区域を除き、避難指示を相次いで解除する。帰還困難区域は、自民、公明両党の第6次提言(16年8月24日)で早期復興に言及。5年後をめどに居住をめざす考えを初めて明示し、政府方針に反映させた。その内容を盛り込んだ福島復興再生特別措置法改正案の今国会成立をめざす。

福島県浜通り地域の商工業再開には、高木陽介原子力災害現地対策本部長(経済産業副大臣=公明党)をトップとする官民合同チームが支援を続けている。100%県産大豆を使った納豆の本格販売をめざすカミノ製作所(川俣町山木屋)の神野三和子社長(63)は、「町と住民と一体となって山木屋再生に取り組みたい」と、住民の帰還を心待ちにしている。


どこまでも寄り添う


被災者に希望の光を
風評、風化に立ち向かう
公明党幹事長(東日本大震災復興加速化本部長)井上義久

目を閉じれば、あの日の惨状が浮かび、あらためて自然災害の脅威に戦慄する。

2011年3月11日午後2時46分。東京・永田町の衆院第2議員会館の12階にある事務所で、立っていられないほどの揺れに襲われた。「あの人は無事だろうか」。テレビの速報が震源を東北だと伝えた瞬間、胸が騒いだ。

「一刻も早く現場へ」。発災翌日、東京を出発。道路の寸断でなかなか進まない車中、はやる気持ちを抑え、初動対応に頭をめぐらせていた。

13日朝、最初に目にした仙台市の沿岸部は、想像を絶する地獄絵のように思えた。建物の上に転がる車、散乱する松の防風林、土台を残すのみの家屋......。避難所は、津波の襲撃から生き延びた男性、家族の安否も分からず泣き崩れる女性たちであふれ、深い喪失感に包まれていた。

経験したことのない試練を前に、徹して現場を駆け回っていたのが公明党の地元議員だった。自ら被災し避難生活を送りながらも救援に奔走し、「大衆とともに」の立党精神を体現する姿を心から誇りに感じた。

当時の民主党政権は、まさに心のない失政の連続。公明党は、与野党関係なく被災3県に担当国会議員を配置し、被災者の要望にきめ細かく対応した。"ネットワークの力"を駆使して窮状を政府に伝えながら、震災対策をリードしてきた自負がある。

自公連立政権となってからは、矢継ぎ早に政策を実行することはもちろん、被災地の司令塔となる復興庁や経済産業省に副大臣を送り出し、公明党は持てる力を発揮している。

震災6年の節目を刻んだ今、住宅再建や生業の再生、インフラ整備などは着実に進んでいる。とはいえ、いまだ約12万人の避難者がいる。避難先でのいじめも胸が痛む。住民の孤立を防ぐコミュニティーの再生や心のケアの充実に全力を挙げなければならない。

特に、福島の復興は緒に就いたばかり。これからが正念場だ。今春には、4町村で帰還困難区域を除き避難指示を解除する。帰還を希望する住民が安心して戻れる環境づくりが不可欠だ。同時に、風評と風化に抗い続け、一人一人が被災地を忘れないことの大切さを痛感している。

今年1月、宮城県の塩釜魚市場で行われた初競りに出向いた。復活を果たした市場の活気に気付かされたことは、たとえ甚大な被害に遭い絶望の淵に沈んだとしても、復興への強い意思を持って進めば、どんな災害も乗り越えることができるとの確信だ。復興は道半ばだが、必ずやり遂げなければならない。

公明党は誓う。悲嘆に暮れた被災者一人一人に寄り添い続け、心に希望の光を灯す「人間の復興」を成し遂げることを。そして、新生東北を創り上げるまで、闘い続けることを。

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