e伝えたい!教訓を未来へ

  • 2017.03.06
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年3月5日(日)付



東日本大震災から6年  
東北、阪神、熊本など全国被災地語り部シンポ
兵庫・淡路市



東日本大震災から間もなく6年。「教訓を未来へ語り継ぐ」とのテーマを掲げて、「第2回全国被災地語り部シンポジウム in 西日本」が2月26、27の両日、兵庫県淡路市で開催されました。東日本大震災をはじめ、阪神・淡路大震災や熊本地震などを乗り越えた「語り部」が集った同シンポの様子を紹介します。


防災・減災が息づく社会めざして
交流、情報 交換など 次世代へ記憶共有を確認

昨年3月の宮城県南三陸町での初開催に続く同シンポには、全国から約430人が参加しました。

冒頭、ひょうご震災記念21世紀研究機構の五百旗頭真理事長が基調講話【別掲】。続いて、阪神・淡路、東日本、熊本のそれぞれの地震で、復旧・復興に取り組んだ行政担当者らが登壇しました。全避難所の運営に携わった熊本県益城町職員は、混乱を極めた各避難所にあって、同じ職員が継続して応対した避難所では、「住民との信頼関係を構築でき、避難者の意見を聞きやすい状況ができた」と報告し、"顔の見える避難所運営"の大切さを指摘しました。

各被災地の語り部によるパネルディスカッションでは、防災・減災の意識が息づく社会をめざして、(1)震災遺構の保存と活用(2)子や孫にも理解してもらえる効果的な体験の伝え方(3)被災地と未災地との連携―などを巡って活発に意見が交わされました。

パネリストからは「KATARIBEという言葉を世界共通語にしたい」「語り部活動を共通の文化にまで高めたい」との提言も。これを受け、語り部同士の交流や情報交換のネットワークをさらに広げ、世界や次世代との記憶共有を進めることも確認しました。

テーマごとの分科会も開かれました。このうち、「未来世代の語り部」分科会には兵庫県と宮城県の高校生が参加。震災の経験のない兵庫県の男子高校生は、小学校への出前授業や熊本へのボランティアなど自らの活動を紹介し、「後世に伝えるだけではなく、全ての人に伝えたい」との自身の思いを披露しました。

2日間にわたったシンポは、「"命を守る"ため、未来に対する知恵となる"未来知"を共に紡ぐ」などとした「全国被災地語り部宣言」を全員で採択し、終了しました。


遺構見学


地震の脅威を実感

同シンポでは、阪神・淡路大震災の記憶をとどめる震災遺構などを巡る「語り部バス」も運行しました。遺構前で語り部たちが、被害の凄まじさを参加者に伝えました。

バスの訪問先の一つである「北淡震災記念公園・野島断層保存館」(淡路市)は、大きくずれた野島断層を保存。被災家屋をメモリアルハウスとして残しているほか、震災の大火を耐え抜いた「神戸の壁」も移設しており、地震の脅威を実感できる工夫を凝らしています。参加者の一人は「遺構はまさに"物言わぬ語り部"。防災・減災の大切さを改めて学ぶことができました」と語っていました。


基調講話


地震活性期にある災害列島
順繰りに支え合う精神を


ひょうご震災記念21世紀研究機構 五百旗頭真理事長

■1.17の衝撃

1995年1月17日早朝、兵庫県西宮市の自宅で体験したあの衝撃をどう表現すればいいだろう。大地の魔神がわが家を両手で鷲づかみし、引き裂こうとしている、そんな恐怖に包まれた。

実際、自宅は全壊し、妻と娘たちは広島の知人宅に"疎開"した。当時、私は神戸大学の教授をしていたが、仕事の合間を縫って様子を見に行った。小学1年生だった娘が、迎えに来てくれた近所のお姉さんたちに囲まれながら、跳ねるように階段を上り登校していく後ろ姿を見て、思わず涙した。「神戸は独りぼっちではない」「広島の、いや全国の人たちが支えてくれている」と深い感動を覚えた。

東日本大震災後、政府の復興構想会議議長となった時、心中密かに「被災地を見捨てない」との思いを固めたのも、この経験ゆえのことだった。1.17で全国、全世界の人たちに神戸はお世話になった、今度はこちらが応援する番だと。

■悲惨の極みの中で

1.17後、日本列島は地震の活性期に入った。中越、東日本、熊本と大規模震災が相次ぎ、多くの人が辛い体験をした。

だが、人の輝きというものは、悲惨の極みの中でこそよく見えるものなのかもしれない。大切な命である自分の命を犠牲にしてでも人の命と暮らしを助けようとする。人間としてのそんな尊厳の極致が被災地のそこここにある。順繰りに悲惨は起こったが、人々の輝きもまた順繰りに拡がり、国や民間のサポート体制も厚みを増したように思う。

例えば1.17では、私有財産の復旧に対する国からの支援はなかった。だが、神戸の人々は、一人一人の生活力を戻さなくて何が公的復興かと運動を起こし、2500万人の署名を集めた。これが3年後に「被災者生活再建支援法」となって実を結び、東日本大震災や熊本地震に生かされた。

中小企業の再建を後押しする「グループ補助金」制度も同様だ。熊本では、地震後に倒産した企業はわずか7件。平時より少なくて済んだのは、3.11の際に東北で創設されたこの制度のおかげである。NGO、NPO、ボランティアなど市民レベルの支援も、経験を重ねる中で専門化され、磨きがかかっている。

こうした「順繰りに支え合う精神」は、災害列島に暮らす私たちに不可欠であり、救いではないか。その先駆者である語り部の皆さんの驥尾に付し、私も阪神や東日本、熊本の記憶を記録に残しながら、教訓を次代に伝えゆく一人でありたい、そう願っている。

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