eコラム「北斗七星」

  • 2017.02.14
  • 情勢/社会

公明新聞:2017年2月14日(火)付



少し古い話題で恐縮だが、正月の「歌会始の儀」のニュースで天皇陛下の歌<邯鄲の鳴く音聞かむと那須の野に集ひし夜をなつかしみ思ふ>を耳にし、以前読んだ時代小説を思い出した。『邯鄲』(乙川優三郎)だ◆カンタンは淡黄緑色の体を持ち、雄は「ルルルル」と澄んだ声を出す、体長13ミリ内外の昆虫。その鳴き声を真似する女中が小説には登場する。飢饉の年に生まれた彼女は禁を犯して果実などを盗んでまで生き延び、14歳で奉公に◆奉公先は、妻に去られ時勢に身を委ねるだけの独身侍の家。2人きりの暮らしが6年になるある日、侍に藩から刺客の命令が出る。相手は使い手。断れない侍は死後の準備を進める。が、女中は何が何でも勝とうとしろと訴え、対決当日を迎える◆相手は強く、深手を負う侍。逃げまくる戦法に出た彼はやがて生き延びることだけを考えるようになり、相手が疲れ切ったところを倒す。戦いの場を後にした侍の耳にカンタンの音が。ふと女中のことを思い出した侍は、女中が妻にふさわしい存在だったと気付く◆評論家の川本三郎氏は同小説を引き、身分社会という厳しい制約のなかで傷だらけになって生きる人間の必死の物語が胸を打つ、と時代小説の魅力を語っていた。それは小説の世界に限らず現実の世界でも同じだろう。(六)

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