eコラム「北斗七星」

  • 2016.08.22
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年8月20日(土)付



カントは毎日、決まった時間に決まった道を散歩した。大哲学者にあやかるつもりはないが、筆者も考えが煮詰まった時には散歩に出ることにしている◆英国には「パブリック・フットパス」と呼ばれる散歩専用の小径があるという。どの道を選ぶか、行くか立ち止まるか、何を考えるか。散歩中はそれらすべてが自由だ。個に立ち戻る行為である散歩が生活スタイルとして確立されているからだと、作家の藤原智美氏に教えられた(『スマホ断食』潮出版社)◆ところが今、スマホの普及によって個に立ち戻る時間が少なくなっている。駅のホームや電車内で、ほとんどの人が当然のようにスマホを触る光景は珍しくない◆ネットとつながる装置の将来について、藤原氏は同著で「手持ちのモバイルではなく、身につけるウエアラブルになり、やがて体内に埋めこまれてしまうかもしれない」と警鐘を鳴らし、3日間の「スマホ断食」を提唱する。かつてカナダ先住民は、「夢を見る時間」を暮らしの中に取り入れたという。背中を丸めて雪の中に入り、毛布で体をくるみながら夜空を見上げ、一人夢想した◆LINE(ライン)は日常生活に欠かせない。「ポケモンGO」も「クール」で「かわいい」日本文化だ。それらと共存していけるように、心してスマホと付き合いたい。(也)

月別アーカイブ

iこのページの先頭へ