eコラム「北斗七星」

  • 2016.03.11
  • 情勢/社会

公明新聞:2016年3月11日(金)付



今も残している携帯電話の留守録メッセージがある。避難先から元気な様子を伝える息子からの連絡。声変わりする前の幼い話しぶりを聞き返すと"あの時"からの日々がよみがえる。東日本大震災から、5年目の朝を迎えた◆「3.11」の年、仮設住宅で出会った幼い子どもたちを5年ぶりに訪ねると少年、少女へと成長していたことに感動を覚えた。大津波に襲われ、骨組みだけとなった宮城県南三陸町の防災対策庁舎。漁船や漁網が散乱し、焼け野原のようになった荒涼とした大地は、10数メートルの盛り土の山脈となって、庁舎の姿を取り囲む◆防災対策庁舎に最後までとどまり町民に避難を呼び掛け、行方不明となった町職員・三浦毅さんを捜す、妻のひろみさんとは震災の年の春に会った。「父さん、また明日来るね」との呟きが耳朶から離れない。ひろみさんは、今も毅さんを想い、携帯電話の留守番電話に語り掛ける◆誰にも、歳月は等しく流れた。「もう5年」なのか、「まだ5年」というべきか。被災者と話すと「私よりも大変な思いをした人がいる」との言葉を耳にすることが多い。イギリスの詩人・ブレイクの<他人の悲しみを見て/悲しくならずにいられようか>の詩が思い起こされる◆被災地では、いわば毎日が「3.11」。忘れないことが復興の力になる。(川)

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