eコラム「北斗七星」

  • 2015.08.03
  • 情勢/社会

公明新聞:2015年8月3日(月)付



「戦争と平和」の問題を初めて意識したのは、小学6年生の修学旅行で長崎市の平和公園を訪れた時だったと思う。友だちと一緒に見上げた「平和祈念像」の大きさと、変わったデザインに皆が驚かされた◆ガイドの人は、小学生のわれわれに彫刻家・北村西望氏の作である「平和祈念像」に込められた意図を丁寧に説明してくれた。高く掲げた右手は原爆を、水平に伸ばした左手は平和をそれぞれ表していると◆「平和祈念像」の表情は戦争犠牲者の冥福を祈っている、との話を聞いた時には祈念像に向かい手を合わすべきかどうか迷ったように思った。「平和祈念像」が「戦争を二度と起こしてはならない」と祈る仏像のように映ったのだろうか◆6日は広島平和記念日、9日は長崎平和祈念日、15日は終戦記念日。学徒出陣で戦争に駆り出され南方で戦った父にとって、8月は暗い過去を思い出す月だった。終戦後シベリアに抑留された女房の父親も同様だった。酷寒の収容所で亡くなった友を、凍土に阻まれ埋葬できなかった悔しさなどをよく語っていた。2人の"元兵士"に共通していたのは「戦争は国家による犯罪」という強い思いだ◆戦後70年。父や義父も他界し戦地体験の語り部は身近にいなくなった。今後は誰が平和に向けた語り部を果たしていくのだろうか。(流)

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