eコラム「北斗七星」

  • 2015.03.11
  • 情勢/社会

公明新聞:2015年3月11日(水)付




「あらんかぎりの 悲しみを 命のかぎり 泣きすだく 蛼の身の羨まし」。悲嘆を胸の奥にしまい込み続けると、思い切り泣く虫さえ羨ましく見えるのだろうか。永井荷風の「こうろぎ」の一節だ(「摘録 断腸亭日乗」 岩波書店)◆東日本大震災から、きょうで4年を迎える。被災地の街並みやインフラは、着実に整備が進んでいるように映る。しかし、最愛の肉親や友人、日常生活も奪われた被災者の多くは、「暮らしの復興」すらままならない◆冒頭の「こうろぎ」は、戦時下の1943(昭和18)年に詠まれた。翌44年の11月から米軍機による空襲が本格化、45年3月10日には東京大空襲によって首都の大半が焼失した。自宅が黒煙に包まれた荷風は岡山に疎開。そこでも、大空襲に遭い炎の海の中を逃げ惑う。60代半ばの身には、さぞやこたえたろう◆大震災後の被災者にも、長引く流離の日々によって「確かな明日」が見えず、悲傷感がただよう。特に高齢者が心配だ。戦禍や天災をくぐり抜けた人々の多くが、哀惜の念にさいなまれる。慟哭の涙は決して枯れるものではない◆「あの日」の忘却は復興を停滞させ、被災者の心をくじく。あらん限りの悲しみには、あらん限りの支援で寄り添うしかない。「3.10」と「3.11」。鎮魂、哀悼、そして誓いの日が続く。(明)

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