eコラム「北斗七星」

  • 2014.12.08
  • 情勢/社会

公明新聞:2014年12月8日(月)付



280年余にわたる唐の礎を築いた第二代皇帝・太宗(李世民、在位626~649年)。中国史上、屈指の名君といわれ、後世に伝わる逸話も多い。その一つが創業(攻め)と守成(守り)に関する問答だ◆636年、太宗は側近に尋ねた。創業と守成といずれが難しいか、と。創業以来の功臣で、当時、宰相を務めていた房玄齢は「創業こそ困難であります」と返答。ところが、側近ナンバーワンの魏徴は「いや、いや、守成こそ困難でありますぞ」と反論したという◆守屋洋訳『貞観政要』(徳間書店)には、太宗は側近の話を聞き、「心して守成の困難を乗り越えていきたい」と応じたとある。守成は極めて難しいことを承知していたのだろう。いかなる組織、団体も守りに回れば危うい。"攻めに徹せよ"と常に繰り返すのは、守成が難事だからだ◆「守りの将棋」と世間から評されていた棋士の大山康晴十五世名人。かつて、その評価を大山らしい言葉で明快に否定したことがあった。「わたしの守りは、相手の攻めの先を読んで、対策を考える、そういう守りなんです。ですから、本質は守りでなく、攻めです」と◆いよいよ勝敗を決する"天王山"に差し掛かった。「善く戦う者は、其の勢は険」とは孫子の言葉だ。経済再生と家計の未来が決まる、大切な時である。一気呵成に攻め、登攀したい。(田)

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