eコラム「北斗七星」

  • 2014.10.29
  • 情勢/社会

公明新聞:2014年10月29日(水)付



「裁判官をはじめ関係者が白い予防衣を着用し、ゴム長靴、手袋までして、被告人の着衣、凶器等の証拠物を火箸で扱った」。これはどこの、いつごろの裁判風景か? 実は1951~52年に日本で行われた◆ハンセン病を疑われ、隔離施設への入所を求められた男性が、殺人事件の犯人とされた裁判は、ハンセン病の療養施設内に設置された「特別法廷」で事実上、非公開で行われた。男性は死刑となった◆裁判所が火事や水害などで使用できない場合を想定して、最高裁が認めれば外部で特別法廷を開くことが認められる。しかし、過去の特別法廷113件のうち、被告がハンセン病であることを理由にしたものが95件を占め、事実上、非公開で行われた◆こうした特別法廷の設置が正当なのか最高裁が検証を始めた。96年のらい予防法の廃止に続き、2001年には隔離政策に対する違憲判決が確定した。それに続く各種の検証・謝罪と、行政、国会などはそれぞれに過去の非人道的な行いについて、自らを振り返ってきた。政府の控訴を食い止めた坂口力厚労相(当時)による、原告団への謝罪(01年6月1日)も、そうした歴史の一幕だった◆司法の場でも差別があったのか。これは、同時代に生きる私たちに対する、問いかけでもある。検証結果の公表を待ちたい。(繁)

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