e被災地の防潮堤整備 住民の声に耳を傾けよ

  • 2014.06.27
  • 情勢/解説

公明新聞:2014年6月27日(金)付



環境、景観、暮らしなど 総合的観点から見直しも



東日本大震災の被災地で進む巨大防潮堤の整備計画に、住民からの異論、反論が絶えない。

ここは一度立ち止まり、住民の声に耳を傾けるべきだろう。海とともに暮らす人々の考えが反映されない防潮堤など、「絵に描いた餅」であり、本末転倒に違いないからだ。場合によっては、計画の見直しに踏み込むべきである。

岩手、宮城、福島の被災3県で新たに整備される防潮堤は、総延長386キロにも及ぶ。既に50キロ弱が完成し、工事は各地で本格化している。

住民の命を津波から守るため、防潮堤が必要なことは言うまでもない。問題はその規模が適切かどうかだ。景観との調和や生態系への影響、住民の暮らしとの関係などを総合的に勘案し、地域ごとに「高さ」や「長さ」「幅」を決める細やかさが求められる。

ところが、各県が予定している新・防潮堤の中には、「羮に懲りて膾を吹く」さながらに、必要以上に「高すぎる」ものが少なくないように映る。

例えば岩手県宮古市田老地区の巨大防潮堤は、「万里の長城」と呼ばれた震災前のものより、さらに4.7メートル高くする。宮城県でも、気仙沼市本吉町の小泉海岸に15メートル弱の巨大防潮堤を造成するなど、震災前には平均4メートルだった高さを7.5メートルにまで引き上げる計画だ。

沿岸の住民はじめ、自然保護団体やエコツーリズムの関係者らが「三陸の景色が死んでしまう」「砂浜が痩せ、海の生態系が崩れる」「漁業に支障が出る」などと反発するのは当然と言うべきだろう。

そもそも防潮堤はどれだけ高く強くしても限界がある。これが3.11の教訓だったはずだ。巨大防潮堤への過信が逃げるのを遅くさせ、被害を大きくしたとの指摘があったことを忘れてはなるまい。

「ハード」としての防潮堤は、津波の勢いを弱め、住民が逃げる時間稼ぎのためにある。こう位置付けて、避難計画作りや訓練など「ソフト」の防災・減災対策と一体となって建設することが重要だ。

そのためにも、住民の理解と納得は絶対的に欠かせない。仮にこのまま、住民の反対を押し切って巨大防潮堤の建設を進めていくなら、各県の津波対策自体、「住民不在」となりかねない。そうなっては何のための防潮堤か、目的と手段が転倒してしまう。

幾度となく津波に襲われながら、それでもしなやかに、したたかに、海とともに生きてきた三陸の人々。その声と知恵を存分に生かした新・防潮堤であってほしい。

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