e富岡製糸場と絹産業遺産群

  • 2014.06.23
  • 情勢/社会

公明新聞:2014年6月22日(日)付



「世界遺産」決定に沸く
群馬県
産業の革新で近代史紡ぐ



日本の近代化をリードした産業遺産に世界が評価―。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は21日、養蚕と生糸産業の革新に決定的な役割を果たした群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」を、世界文化遺産に登録することを決めました。富岡製糸場(富岡市)では登録が決まる前から連日、多くの来場者でにぎわい、"決定"のニュースでさらに喜びに沸いています。
観光振興の目玉と期待

官・民連携で新たな企画も

正面から入ると通路の両脇に深緑の草木が茂り、その先に赤れんが造りの建物が映える。富岡製糸場には、1872年(明治5年)に西洋の技術を導入して建設された当時と変わらぬ情景が今も残っています。世界遺産登録を目前にして訪れた地元の小学生たちも、「たくさんの人に見てもらいたい」と、れんがの色に合わせた赤いサルビアの花を植えて"その時"を心待ちにしていました。

群馬県では古くから養蚕、製糸、織物といった絹産業が盛んで、その文化遺産が数多く残っています。今回、富岡製糸場とともに登録されたのは、県内にある田島弥平旧宅(伊勢崎市)、高山社跡(藤岡市)、荒船風穴(下仁田町)の合わせて4遺産。明治以降の産業遺産としては、国内初の世界文化遺産となります。

中でも富岡製糸場は、19世紀後半から20世紀にかけて、日本が成し遂げた高品質の生糸の大量生産を支えた「技術革新」や、世界との「技術交流」の中核としての役割が高く評価されました。明治政府が掲げた「殖産興業」の柱として日本の近代化を支えた「官営模範工場」の一つでもあり、木骨れんが造りで日本瓦を使った和洋折衷の巨大繭倉庫や繰糸場などは、歴史的にも価値ある遺産として、保全が求められています。

今では、国内外から多くの観光客が訪れるようになり、日本の観光振興の目玉としても注目を集め、充実した展示・映像コーナーも好評を博しています。

県や市も、地域の活性化につなげる取り組みに力を注ぎ、NPO団体などとの連携も強化しています。今後は、遺産群を核とした産業観光ツーリズムが企画されるほか、県内の企業・店舗での新たな商・工業製品や、地元農産物を使った食品の開発なども展開していきます。
地域、住民の活動が後押し

「ゴールではなくスタート」

群馬県が世界遺産登録の構想を発表したのは2003年夏のこと。翌04年には県庁内に「世界遺産推進室」を設置して、本格的な取り組みがスタートしました。

05年からは施設の一般公開が始まり、さまざまな啓発イベントも開催。創業当初はフランス式の繰糸器が稼働していた世界最大規模の繰糸場には、操業停止になる1987年まで動いていた自動繰糸機が展示され、ヨーロッパの器械製糸技術が改良されていく歴史が見て取れます。

こうした製糸場のさまざまな魅力を発信する取り組みで、次第に世界遺産をめざす気運が高まり、ボランティア団体などによる住民主体の啓発活動も活発になって、登録を後押し。今では、多くの団体が清掃活動や講演会、各地でパネル展示などの活動を展開し、場内の案内役もボランティアが務めています。

「遺産が持つ価値を最大限に生かし、後世に伝えていきたい」―。こう語る元富岡市長の今井清二郎氏と公明党群馬県本部(福重隆浩代表=県議)のメンバーが13日、富岡製糸場を訪れました。

今井氏は、市長就任(1995年)以前から富岡製糸場を観光拠点にしようと積極的に取り組んでいた一人です。きっかけは、地域開発をテーマにした活動の中で富岡製糸場の歴史を学んだこと。まだ、操業していたときから、歴史的価値を訴える活動を続けてきました。「登録はゴールではなくスタート。これからは、世界遺産にふさわしい街づくりの役に立ちたい」と今井氏は語っています。

公明党もこれまで、国会で産業文化遺産としての価値を訴えるとともに、国会、県・市議会の議員が一体となって、周辺の環境整備や住民へのPR活動を強化するなど、登録をめざしてきました。

吉報を受け、福重県代表らも「さらなる地域活性化に取り組むとともに、責任を持って価値ある遺産群を守っていきたい」と決意を新たに。今回の決定で世界ブランドとなった「富岡」の新たな街づくりにも期待が高まります。

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