t議員は「先生」違和感ありませんか?

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2022年9月24日



去る9月21日、大阪府議会・議会運営委員会の席上、森議長から、大阪府議会では、長年の慣例により、議員に対し「先生」という呼び方が使われてきましたが、特別だという勘違いの助長につながりかねないなどとして、この呼称を使用しないことを議長団として提案しました。すでに、その日よりNHKはじめ民放各社でもご紹介いただいています。

もちろんこの「先生」という呼称は法令の定めもなく正式なものではありません。今更なぜそんなところにこだわるのかというご意見の方や、明治以来、社会慣習的に根強く定着しており、見直しの必要性は感じないという方もいらっしゃると思います。ここで私見ではありますが、提案の趣旨をご説明させていただきます。

私は、府議会議員になる前は、府職員でしたので、初当選以来、かつての上司から「先生」と呼ばれた時には、強烈な違和感を持ちました。来春は、統一地方選挙がありますが、そこで当選された若い新人議員も私と同様な思いを大なり小なり持たれると思います。ところが、私も心当たりがありますが、いつしか当選回数を重ねるにつれて、そうした違和感はだんだん薄れていき、そして周りにその「先生」だけはやめてくださいといちいち言うのも面倒になっていきました。

たかだか呼び名、されど呼び名であります。民主主義社会とは、文字通り民が主であり、主人公、主役の社会です。あくまでオーナー、雇い主は有権者です。その民主主義社会実現のために歴史的にどれだけの犠牲が払われ、血が流されてきたことか。その民主主義の成熟は、外形上、制度上の改革で終わりではありません。支える側の日々制度活性化への不断の努力と積み重ねがなければ、たちまち形骸化、空洞化してしまいます。議員が有権者の皆さんから選挙で選ばれるのは、有権者の代表として間接民主主義の実現のためであり、代表者して有権者のために仕事をしてもらうためであります。その意味で議員は、国と地方を問わず、他の職業とは根本的に異なり、「先生」と呼ばれて違和感があるのが当然といえます。 元教員や医師、弁護士等であれば、その違和感がないかもしれませんが、それでも私は、当選の瞬間から「先生」ではなくなると考えます。

日常当たり前のように使っていた呼び名を見直し改めることは、簡単なことではありません。他人に強要するのではなく、自ら率先して実践することも容易いことではありません。

しかし、言葉によってコミュニケーションがなされ、社会が成立している以上、これを粘り強く取り組むことで確実に私は、意識改革に繋がることと信じます。この大阪府議会発の意識改革運動、政治姿勢改革の第一歩でもあり、来春の改選期を控え、一石を投じることの意味は決して小さくありません。衆議一決し、できれば何らかの宣言や議決につながれば、府議会の歴史に大きく刻まれることはまちがいありません。

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