t洋上風力発電、長崎の歴史を視察

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2021年12月10日



12月9、10日(木、金) 晴れ

会派視察で長崎県五島市、長崎市を訪れました。

 五島市福江島の沖合約5キロの場所に浮体式洋上風力発電の風車「はえんかぜ」が立っています。出力は2メガワット、約1800-2000世帯分の電気を発電できます。

 風車の全長は172メートル、うち76メートルほどが海面下にあり、3本の鎖と錨が海底に下がっていますが、固定はしていません。風を風車の後ろ側から受けて回る仕組みです。

 2013年10月、環境省の実証事業で設置、終了後は五島市と五島フローティングウィンドパワー合同会社が発電を続けています。

 風速4.5~25メートルの時は風を受けて発電、強風時は風車を止めて風を受け流して破損を防ぎます。これまで風速50メートルの風にも耐えたそうです。

 同規模の風車を計8台設置する計画があるそうです。発電量を増やせば売電先も増やす必要があります。九州本島への送電能力が課題だそうです。

 実際に船で沖合の風車の近くまで行きました。この日は無風だったのであいにく回っていませんでした。

 続いて風力発電設備のメンテナンスを手掛ける㈲イー・ウインドに伺いました。1990年創業で五島市に本社を置く同社はもともと建設会社でしたが2008年、風力発電設備のメンテナンスに事業を一本化、現在の社名に変更しました。

 現在は国内の陸上、洋上風力発電120基を長崎五島、北海道、ブラジルの3拠点で遠隔監視しています。特にブラジルは時差の関係で日本と昼夜が逆のため、プログラムの改修などは夜に作業を依頼すれば翌朝に返事が来るのが利点だそうです。

 さらに(一社)海洋エネルギー漁業共生センターに伺いました。「漁業・地域と共存共栄した海洋エネルギー」を目指し、洋上風力発電の設置に合わせて藻場や漁場の再生を図るのが狙いです。これまで全国50カ所以上で藻場・漁場の調査・再生に取り組み、五島でもひじきの再生を手掛けています。収穫は地元の人たちと一緒にしていました。

 2日目は長崎市に移動、まず軍艦島デジタル・ミュージアムへ行きました。

 2015年、明治日本の産業革命遺産の一つとして世界遺産に登録された端島炭坑があったのが「軍艦島」です。19世紀末から1974年の閉山まで約1600万トンの石炭を産出、ほとんどが八幡製鉄所(北九州市)に送られ、近代化に欠かせない製鉄を支えていました。

 同ミュージアムは軍艦島の歴史を写真や映像などで紹介する目的で2015年9月に開館しました。「採炭現場への道」と題したプロジェクションマッピングはトロッコやエレベーターに乗って現場に向かう様子が再現されています。

 また、1960年には6.3ヘクタール(甲子園球場の約1.6倍の広さ)に5300人が暮らしていたそうです。当時の住居の内部も再現されています。

 最後に長崎市立城山小学校に残る被爆した校舎を使った「平和祈念館」に伺いました。爆心地から西に500メートル、最も近い位置にあった国民学校(当時)でした。鉄筋3階建て校舎は大きく壊れ、2、3階は全焼しました。当時学校にいた教職員31人中28人が死亡し、約1500人いた児童のうち1400人余りが亡くなったそうです。

 祈念館の中には原爆の高熱で黒く炭化した木レンガが残り、被爆当時を再現した模型、被爆したカラスザンショウなどの展示があります。

 また、学校敷地の一角に建つ「少年平和像」は原爆ですべてを失った城山小学校の児童が平和を求めて立ち上がる姿をかたどったものです。子どもたちは登下校時に銅像に一礼をするのが習わしで、私たちもその姿を実際に見ることができました。被爆を実体験した人たちはいずれ誰もいなくなります。受け継ぎ、語り継ぐ存在となっていってほしいですね。

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