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t良書との出会い⑦ 『従属国家論 日米戦後史の欺瞞』 佐伯啓思

2015年8月3日



『従属国家論 日米戦後史の欺瞞』 佐伯啓思 著


 賛成できないところも、多々あります。しかし、日本の戦後の歩みを考えた時に、考えさせられる、インパクトある一冊でした。今年は戦後70年、この時期になると、とりわけ戦争と戦後の歴史が取り上げられることが多いので、紹介させていただきます。


 日米関係を語る時に、安倍首相もたびたび繰り返しています。「日米は、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済という普遍的価値を共有している」。いわゆる「価値観外交」です。つまり、「価値観の共有できる国との関係は強化していこう」、ということでしょう。しかし同時に、「価値を異にする国との関係をどう考えるのか」と言う、逆説的な問いになるのは避けられません。


 米国とは、この戦後の歩みの中で、本当に価値観を共有してきたと言えるんでしょうか。「戦後70周年」といったときには、1945年がスタートになります。しかし考えてみれば、本当の「終戦」は、1952年のサンフランシスコ講和条約であって、そこから「戦後日本」の歩みが始まります。(もちろん、沖縄の方々の思いは、別にあるでしょう。)1945年はあくまで、「敗戦」が確定したときに過ぎません。そしてこの1945年から1952年の間、つまり日本がGHQの占領下にあったこの時期、戦時中の日本とは違う日本に「生まれ変わり」ます。それが、結果として良かったとも、悪かったとも申し上げませんが、少なくとも、「戦後日本」の基礎をつくったのがGHQであることは、間違いがありません。


 日本国憲法は、こうした、我が国が主権を「有していなかった」時期に、制定されたものです。この点について筆者は、日本の「敗戦」が確定した「ポツダム宣言」の、日本語訳に焦点をあてます。つまり、日本語訳においては、日本の主権はGHQの「制限の下」にあると訳されています。しかし実は、英語を直訳すると、GHQに「従属する」となっています。つまり、日本にとってみれば、主権に多少の「制限」はあるものの、日本国憲法を含め、物事を決めているのは自分だという感覚がありました。一方、米国からすれば、主権は明らかに米国に移っています。そしてこうした二重性の中での日本の政策決定は、戦後日本の歴史において、いたるところに見られました。


 90年代の前半以降、日本中が「構造改革一辺倒」になりました。私が国家公務員となった90年代後半もその流れは続き、経済構造改革、政治改革、行政改革といった仕事が目白押しでした。たとえば、1989年にブッシュ大統領が日本に提唱した「日米構造協議」は、まさしく日本のバブル経済絶頂期でのことでした。戦争で負けたはずの日本が、米国の経済を圧倒していました。冷戦終結後の当時、米国では新たな世界秩序の模索が始まります。米国にとっての国益を再定義するなかで、米国が一番問題だとしたのが、「日本」でした。なぜ、米国が日本に勝てないのか。米国は、「公正」に欠く日本の「経済構造」こそが問題であるとしたのです。


 そこで、米国のイニシアティブで始まった「日米構造協議」において、米国主導で、様々な日本の構造改革が進められました。「日米構造協議」という名前だけを見れば、日米双方が対等に要望しあえる協議だと見えますが、実際は、米国の意図による日本の変革に重きを置いたものでした。そしてこの流れは、政権が変わっても、名を変え、形を変えて続いていきます。クリントン大統領と橋本首相の間では「日米間の規制緩和および競争政策に関する強化されたイニシアティブ」に、ブッシュJr大統領と小泉首相の間では「規制改革および競争政策イニシアティブ」となって、この日米経済協議は続きます。


 米国は、こうした協議の場においては、決して自身(米国)の国益のためとは言いません。日本の「非公正」な経済構造が、日本の消費者の利益を損なっている。だから、改革することは日本のためだと主張してきました。そして、多くの日本のメディアも、構造改革は日本のためだと唱和することになります。結果、何が起こったかは、皆さんご存じのとおりです。規制撤廃や市場開放によって、安い海外からの商品があふれ、日本の物価は下がりました。長い長いデフレ経済の始まりです。激しいコスト競争にさらされた日本企業では、労働者の賃金が下がり、そして派遣、非正規雇用が拡大していきます。日本の特徴であった、日本型経営、日本型雇用が失われていきます。そこから、「失われた20年」が始まったのです。米国の意図が色濃く反映されているこうした改革が、日本では、日本の主体的な改革だと理解されているという二重構造を、筆者は鋭く指摘しています。


 米国の意図であるにもかかわらず、日本の主体的な意思だとみる、この二重構造の最たるものが、日本国憲法でした。「平和憲法」にある米国の意図は、日本の武装解除にありました。「危険」な日本に、再軍備をさせないという、米国の強い意志でした。しかし日本人にとっては、戦争への反省によって、我が国が主体的に「戦力」を放棄したとの理解が広がっていると、筆者は指摘しています。もちろん、そうはいっても、私自身はこの「平和憲法」の価値を守るべきだと思っています。それは、その出自がどうあれ、戦後の日本の歩みの中で、「平和憲法」の価値観はすでに、日本国民の間で定着しているからです。憲法の「平和主義」の価値観は、日本という国が守るべき価値観だと思っています。その点については、強く主張しておきたいと思います。


 さて、では「価値観外交」とは何でしょうか。米国と共有できる「普遍的な価値」とはなんでしょうか。筆者は言います。そもそも、「普遍」という言葉自体から受け取る感覚が、日米で異なっていると。「普遍的」という「universal」という言葉は、「単一(uni-)」に「方向付ける(-vertere)」という意味があります。つまり、英語の「普遍的」には、自分たちの価値を「意図的」に働きかけるというニュアンスが含まれています。しかし日本人にとって「普遍的」とは、「何か自然に、共通のものを取り出す」といった意味が強いでしょう。


 米国の外交における「普遍的価値」の意味合いとは、自由や民主主義といった価値を、世界に広めようという強い「意図」があります。私がアメリカの大学で、米国外交史を習った時にも、米国人の教授から同じように教えられました。しかし、こうした自由や民主主義が、世界において本当に「普遍的」かというと、そうではありません。イスラム教徒は、神(アッラー)の教えに従った生活を至上のものとし、「自由」もせいぜいその範囲に収まるものでしかなく、信仰と規律が価値の中心だと、筆者は述べています。つまり、イスラムの価値観は、西洋流の近代的「自由」とは対立することになります。


 日本が、米国と「普遍的価値を共有する」といったときに、どれほどの覚悟をもって、それを言っているんでしょうか。自由や民主主義を、世界的、「普遍的」なものにすべく、他の価値観との対立も辞さない。こうした覚悟が、日本にあるとは思えません。イスラム諸国との対立、あるいは中国の体制転換を要求するなど、そこまで日本が目指しているわけではないでしょう。せいぜい、日本も自由・民主主義や人権、法の支配などを「尊重する」といったくらいでしょう。あるいは、市場経済を共有することで、互いに経済的に発展していこう、ぐらいの意味だと思われます。日本が「普遍的価値観」を米国と共有していると言われても、正直、私自身もあまりピンときません。日本には、欧米ともイスラム諸国とも違う、日本独自の価値観があるんだと、思ってしまいます。


 長くなりそうなので、これくらいでやめにしますが、本書に描かれた戦後史には、その他、示唆に富んだ数々の主張が盛り込まれています。こうした主張に対して、賛否さまざまな議論があるでしょう。「戦後70周年」を迎えた今、読んでみる価値のある一冊だと思いました。

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